翻訳|jam
果実加工品の一種で、果物に砂糖を混ぜて煮つめた粘性の強い甘味保存食品の総称。フランス語ではコンフィテュールという。野菜を原料とするものもある。ジャムの意味は、押しつぶす、あるいは音をたててかむということを表す。イチゴ、キイチゴなどのベリー類、リンゴ、アンズ、モモ、オレンジ、イチジク、ブドウ、パパイヤ、バナナなど、多くが果物を原料として用いる。このほか、バラの花、ニンジン、カボチャ、ジャガイモ、ルバーブなど花や野菜からつくったものもある。
[河野友美・大滝 緑]
ジャムの歴史は非常に古く、紀元前からあったものと推定されている。古くは蜂蜜(はちみつ)や飴(あめ)を甘味料として用いていたようである。記録としては、紀元前327年ごろアレクサンドロス大王がインドを攻略し、ヨーロッパに砂糖を持ち帰ったが、このわずかの砂糖を用いてジャムがつくられ、王侯や貴族がだいじに食べたという。砂糖が自由に使えるようになると、北ヨーロッパのような寒地では果物に恵まれないため、貯蔵食品として主婦が家庭でジャムをつくるようになった。これがのちに、瓶詰や缶詰法が発明されるとともに企業化され、商品化されるようになった。日本でジャムがつくられたのは、1881年(明治14)の長野県が最初であるといわれる。盛んに製造されるようになったのは、明治末期から大正の初期で、とくに第二次世界大戦後、パン食の普及に伴って急速に増加発達した。
[河野友美・大滝 緑]
ジャムは原料の煮方によって、狭義のジャムとプリザーブスタイルに分けられる。狭義のジャムはすりつぶしたように均一化したもの、つまり果物の原形をとどめていないものをさし、プリザーブスタイルは果物の原形を残すようにつくられたものをよんでいる。一般にプリザーブスタイルのほうが高級品と考えられている。マーマレードmarmaladeもプリザーブ型のジャムの一種で、とくにオレンジなど柑橘類からつくったものを区別してよんでいる。
[河野友美・大滝 緑]
ジャムの原料となるものは、ペクチンに富み、酸味の強いものがよい。未熟なものや過熟のものは、ペクチンの含有量が少ないため、うまくジャム状にならない。この場合にはペクチンを添加する。また酸の不足のときも、うまくジャム状にならないから、クエン酸などの有機酸を添加する。ジャムがうまくできるためには、ペクチンと酸と糖の量が適当でないといけない。ゼリー化に適した条件としては、製品中、pH2.8~3.3、糖度60~65%、ペクチン1%前後とされている。原料を洗浄し、糖類、その他必要な材料を加えて加熱、濃縮する。
家庭でジャムをつくるときは、よく熟した色のよい材料果実を選び、砂糖を十分に使うとよい。イチゴジャムは次のようにつくる。まずイチゴと砂糖(イチゴの重量の80~100%)を用意する。イチゴは洗ってへたをとり、よく水をきったのち、鍋(なべ)に入れて砂糖全量をふりかける。これに、イチゴ1キログラムにつきレモン1個分の汁をふりかけて、しばらく置く。このとき、いくつかのイチゴを押さえてつぶしておくと、一部の砂糖が溶け、これがイチゴの水分を早く吸い出す呼び水として役だつ。イチゴから汁がよく出てきたら火にかけ、鍋の蓋(ふた)はしないで、初めは強火で煮る。ふき上がってきたら、上に浮くあくをよくすくいながら火をすこし弱める。仕上がりは、使用したイチゴの重量の2分の1だけ水分が蒸発したときで、ここで砂糖は飽和状態となっている。これ以上煮つめると、砂糖がカラメル化したり、飴状になる。その結果、ジャム特有の滑らかな感じがなくなる。煮つめ方が足りないと、ジャムは水っぽくなり、色が悪く、保存がきかない。用途としては、トーストなどにつけるほか、ヨーグルトに混ぜたり、アイスクリームにかけたり、各種の菓子類の副材料として用いられている。
[河野友美・大滝 緑]
保存するときは、空瓶を熱湯消毒した中に入れ、軽く蓋を閉めて煮沸消毒してから、すぐに蓋をきつく閉める。これで1年間は保たせることができる。砂糖分が多いので、熱湯で殺菌した瓶に詰めてそのまま置いてもめったに腐敗はしない。ただし、甘味を控える目的で砂糖を減らしてつくったジャムは、長期の保存はきかないので、冷蔵庫に入れ、早めに使いきる。市販の低糖ジャムも同様である。
[河野友美・大滝 緑]
イギリスのロック・グループ。1970年代後半から80年代初めにかけて高い人気を誇った。同時代のパンクと同様に60年代のモッズ(ロンドンで若者に流行したファッション・音楽スタイル。名前はモダンズ(moderns)からきている)文化から多くのインスピレーションを得て、レコード・デビューからの5年間に18曲ものヒットを放った。
1973年にサリー県で、ポール・ウェラーPaul Weller(1958― 、ボーカル、ギター)とリック・バックラーRick Buckler(1955― 、ドラム)がバンドを結成。75年にブルース・フォクストンBruce Foxton(1955― 、ベース)を加えて、ジャムとなる。当時ウェラーはまだ17歳だった。76年なかばにはロンドン市内のクラブにも出演するようになり、熱心なファンを獲得していく。
77年にポリドールと契約し、シングル「イン・ザ・シティ」と同名のアルバムでデビューする。彼らは60年代なかばのモッズ・グループ、フーやスモール・フェイセスに強い影響を受けており、彼らから大音量で荒削りな演奏、アメリカのリズム・アンド・ブルースへの志向、スタイリッシュなファッションなどの特徴を受け継いでいた。同年2作目『ザ・モダン・ワールド』を発表し、人気が急上昇する。そんな彼らに刺激されて、モッズのサウンドとファッションを取り入れた若いバンドがイギリス各地で生まれるモッズ・リバイバルが起こった。
ジャムの活動の転機となった作品が78年後半に発表された3作目のアルバム『オール・モッド・コンズ』である。ウェラーの自作曲は音楽的な幅の広がりを見せる一方で、歌詞は辛辣さを増し、社会批評性を強めていた。このアルバムからは「オール・アラウンド・ザ・ワールド」や反人種差別を歌った「ダウン・イン・ザ・チューブ・ステイション・アット・ミッドナイト」などがヒットした。79年のコンセプト・アルバム風の『セッティング・サンズ』では、ウェラーの社会問題への意識がますます鋭いものになっていたが、若者の失業率が上昇していた時期にその歌詞は実に時宜を得たものだった。
そして、80年の『サウンド・アフェクツ』からは「ゴーイング・アンダーグラウンド」と「スタート」の2曲の全英ナンバー・ワン・ヒットが生まれ、3人が音楽雑誌の人気投票の各部門を独占するほどの人気となった。ただしアメリカでは、カルト的な人気以上の知名度を得られなかった。82年にもアルバム『ザ・ギフト』、モータウン風のシングル曲「タウン・コールド・マリス」と「ビート・サレンダー」がいずれも全英第1位に輝いたが、人気も創造性も頂点にあった同年、ウェラーはジャムの解散を発表し、ファンに大きな衝撃を与えた。
ウェラーはキーボード奏者のミック・タルボットMick Talbot(1958― )とスタイル・カウンシルを結成、ジャムよりもさらにソウル・ミュージックを追求した作品を発表する。83年に「スピーク・ライク・ア・チャイルド」と「ロング・ホット・サマー」がヒット。84年にはクール・ジャズ的アプローチも取り入れたアルバム『カフェ・ブリュ』を発表し、「マイ・エバー・チェンジング・ムーズ」をヒットさせた。
スタイル・カウンシル結成後のウェラーは積極的に政治的な運動とかかわり合うようになり、左翼勢力のためのイベントにも出演し、87年の総選挙の際にはイギリスのシンガー・ソングライター、ビリー・ブラッグBilly Bragg(1957― )らとともに労働党を支援する「レッド・ウェッジ」を組織してツアーを先導した。
89年のスタイル・カウンシル解散後、ウェラーはソロ活動を開始。一時期低迷していたが、94年の『ワイルド・ウッド』の大ヒットで第一線に復帰。その後はブリット・ポップ(90年代なかばのイギリスのロック界を席巻したムーブメント。60年代音楽の影響の濃いサウンドとイギリス人らしさを強調した個性をもつグループが次々と登場して高い人気を得た。ブラーとオアシスが代表格)の後見人的存在として、若い世代からも尊敬を集めた。
[五十嵐正]
フランスの詩人。ピレネーのベアルン地方に生まれ、田園の風物と素朴な人々の心情を歌った。1897年、当時衰退をたどっていた象徴主義とその人工楽園的美学に対し「ジャミスム」を宣言し、詩作品の清純を保つためには真実の謳歌(おうか)と、「小鳥や花や羊の群れや、男や女や陽気さや寂しさ」など自然感情のありのままの描写を主張。詩集『暁(あけ)のお告げの鐘(アンジェラス)から夕のお告げの鐘(アンジェラス)まで』(1898)、『桜草の喪』(1900)などで、ニーチェ的超人哲学を否定し、村の教会を中心とする農民の単純な愛の生活を自由な形式で歌い、宗教観を可憐(かれん)なロバに託す。1905年クローデルの導きでカトリックに回心。詩集『空の晴れ間』(1906)では霊的苦悩の終わりと信仰復帰の道程を示した。『キリスト教農事詩』(1911~12)や『四行詩』(1925)は彼の詩魂と宗教感情の集大成である。ほかに短編集『野うさぎ物語』(1903)や自伝的随筆『愛・詩神・狩り』(1922)など。ジャムは、批評家ルネ・ラルーの指摘するように、二重の意味で優雅(グラース)と恩寵(グラース)の詩人であり、「自然と恩寵(おんちょう)とを和解させた詩人」(モーリヤック)であるといえよう。
[倉田 清]
『倉田清訳『ジャム詩集』(1980・朝日出版社)』
果実あるいは果肉に砂糖を加えて適当な濃度にまで煮つめたもの。〈押しつぶす〉の意の同形の動詞に由来する語と考えられている。パンにぬったり,ケーキ,ペーストリー,タルト,クレープなどに風味づけと彩り,飾りを兼ねて用いられる。果実や果肉は原形を保たなくてもよく,ふつうは煮くずれて混濁している。ゼリー状になるのは,果実中のペクチンと酸に砂糖が作用することによるもので,糖度は65%内外である。果実や果肉の形が残っているものはプレザーブpreserveという。果実はイチゴ,カラント,ラズベリー,グーズベリー,リンゴ,アンズ,モモ,イチジク,ブドウ,サクランボなどを用いる。マーマレードmarmaladeは,かんきつ類のジャムで,果肉と薄片の果皮を含むものをいい,ギリシア語で〈蜜のリンゴ〉の意のメリメロンmelimēlonから派生したポルトガル語マルメラーダmarmelada(マルメロの砂糖煮)を語源とする。通常はオレンジ・マーマレードを指し,ライム,レモン,グレープフルーツ,ナツミカンなどでもつくられる。しかし,マーマレードの語は,ヨーロッパの多くの国では濃いジャムを,フランスでは果実の煮つぶしたものを,スペインではリンゴの煮つぶしをいうなど,違いがある。
JASでは,〈ジャム類〉として,果実を糖類とともにゼリー化するようになるまで加熱したものと定義し,可溶性固形物(糖質)65%以上と規定している。そしてジャム類をジャム,ミックス・ジャム,マーマレード,ゼリーに分けているが,ジャムは1種類の,ミックスジャムは2種類以上の果実を原料としたもの,マーマレードはかんきつ類の果実を原料としたもので果皮が認められるもの,ゼリーは果汁を原料としたものと定義している。《日本食品標準成分表》によれば,イチゴ・ジャム100gは,糖質67g,水分31.5g,タンパク質0.5g,脂質0.1g,繊維0.6g,灰分0.3gで,264kcalである。
執筆者:平野 雄一郎
フランスの作家。ピレネー山脈に近いベアルン,バスク地方で安穏な生活を送りながら,田園の風景,人間,動物,静物などを自由詩形式でうたい,早くからジッド,マラルメらに認められた。《暁のアンジェラスから夕べのアンジェラスまで》(1898)で一躍筆名を高めた後,写生を旨とする〈ジャム主義〉という一種のナチュリスム宣言を書いた。《桜草の喪》(1901)につづく《空の森の空地》(1906)では,友人クローデルの導きで得た信仰の光をうたうとともに,詩形の上でも伝統的定型詩に立ち戻った。ほかに素朴な農民生活の賛歌《キリスト教農耕詩》(1912)などの詩集,繊細な感情を描いた小説《クララ・デレブーズ》(1899),《アルマイード・デートルモン》(1901)などの作品がある。パリ文壇と一線を画した彼の反骨は,第1次大戦前の前衛芸術にかなりの影響を及ぼしたが,後には保守派の論客として現代詩には厳しい態度をとった。コレット,ラルボー,ジッドらとの往復書簡も出版されている。
執筆者:田中 淳一
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