日本大百科全書(ニッポニカ) 「市民フォーラム」の意味・わかりやすい解説
市民フォーラム
しみんふぉーらむ
Občanské fórum
チェコの「政治運動」(チェコの政党法では政党よりも緩やかな組織原理にたつものと規定されている)。チェコスロバキアでは共産党体制を批判する1989年11月17日の学生デモが引き金となり、民主化要求運動が高まった。これを受けてハベルらチェコ人反体制派知識人が中心となって、11月19日にこの組織は設立された。緩やかな組織原理にたち、さまざまな個人や団体が共産党体制の打倒、議会制民主主義、市場経済、市民的権利の回復などを共通の目的として参加した。その後のデモやストライキを指導し、共産党政府と円卓会議による合意形成を進め、同年12月初めには、スロバキアの姉妹組織である「暴力に反対する公衆」などとともに共産党改革派との連立政権に参加した。90年6月の選挙ではチェコで第一党の地位を得て、スロバキアの「暴力に反対する公衆」やキリスト教民主運動とともに共産党を排除した連立連邦政府を形成し、その後の体制移行を指導した。しかし、しだいに経済政策や運動の組織原理をめぐって対立が顕在化し、91年4月には経済自由主義に立つ中道右派政党の市民民主党および市民民主同盟、環境・人権問題などを重視する中道派の「市民運動」などに分裂し、また中道左派グループは社会民主党に合流した。
[林 忠行]