自由で平等な市民社会と平和で健康な市民生活を実現するため,それを妨げるさまざまな力に対して,連帯して抵抗し,市民的自由の拡大と市民生活の擁護を図ろうとする運動。歴史的には,17,18世紀,イギリス,フランス,アメリカで都市ブルジョアジーが王政や植民地支配に反抗し,市民的自由を獲得していった市民革命の経験に,古典的な市民運動の原型が求められる。
現代の市民運動は,すでに手にした市民的自由を武器に,核兵器反対,人種・性別など差別の撤廃,人権擁護,軍事基地撤去,公共開発事業の阻止,公害反対,自然保護,情報公開法の要求,公選制の拡大,嫌煙権の要求など,市民の自由権と社会(生存)権を守る多様な目標を掲げ,国際,国内,地域社会で自発的な運動を展開している。
市民運動は,住民運動と実質的に重なる場合が多い。市民(住民)自治という共通の理念を掲げ,市民の自由と住民生活を守る反権力的な運動だからである。両者は,運動の担い手が個人であり,非党派的組織であることも共通である。あえて区別すれば,住民運動が一定地域の住民の,主として生活環境をとりあげ,市民の生存権を問う地域性の強い運動であるのに対し,市民運動は差別反対,ベトナム戦争反対のスローガンに見られるように,地域を超えた幅広い課題をめぐり,市民的自由権の擁護と拡大を求める。住民運動が生活者による地域型の抵抗運動であるとすれば,市民運動は自由意識の強い都市型の権利要求運動といえる。
日本では,明治以来,絶対天皇制下の官僚統治によって,自由な市民社会の形成そのものが阻まれたため,市民運動の展開は大幅に立ち遅れた。大正デモクラシーの影響下で,都市に知識人による文化運動の萌芽がみられたが,それも弾圧され,本格的な市民運動が育つには,敗戦で旧体制がこわされ,主権在民と基本的人権をうたう新憲法のもとで,民主主義が根づくのを待たねばならなかった。1950年代,冷戦が激化し,朝鮮戦争,米ソの水爆開発競争と相つぐなかで,戦争の危機を憂慮する学者・知識人が一市民として立ち上がった。〈平和問題談話会〉を結成,全面講和,中立堅持,基地反対,再軍備反対,憲法擁護を訴えた。これは学者による上からの啓蒙的運動であったが,市民の目を平和と護憲に向けさせたという意味で,先駆的役割を果たした。一方,市民運動を草の根から先導したのは,子どもの生命をあずかる母親たちだった。1954年の第五福竜丸ビキニ被災事件(ビキニ水爆実験)をきっかけに,東京杉並の婦人読書会〈杉の子会〉が呼びかけた原水爆禁止署名運動は世界的な反響を呼び,広島での原水爆禁止世界大会の開催,平和団体〈原水爆禁止協議会〉創設の原動力となった(原水爆禁止運動)。また〈息子を戦場に送るな〉のスローガンのもとに〈母親大会〉を開いた婦人たちも,自発的な市民の立場から平和運動の一翼を担った。さらに内灘,妙義,砂川,百里原などの基地反対運動では,地元住民の土地を守るたたかいが,学生・知識人の支援のもとに展開された。しかし,この時期の平和・反基地の運動は,組織が広がるにつれ,政党・労組組織による主導権争いが表面化し,無党派市民層を失望させ運動から離れさせた。
自発的な市民による政治抵抗運動が,市民運動として自覚的に展開されるのは,日米安全保障条約の改正に反対する1960年の安保闘争においてである。政党・労組・学生が主体となった〈安保改定阻止国民会議〉主催のデモの外側に,いわゆる〈一般市民〉による抗議デモの輪が広がった。学者・知識人による〈安保問題研究会〉や,文化人・芸術家が結成した〈安保批判の会〉などの自由な運動が,一般市民の運動に指針を与え,運動の輪を広げるのに貢献した。
国会で新条約案が強行採決されたことで,運動は急激に盛り上がった。市民は議会制民主主義の危機を,市民的自由への挑戦と受け取った。安保反対と並んで民主主義擁護がスローガンに加わった。組織をもたない見ず知らずの市民同士の集りである〈声なき声の会〉,婦人投稿グループ〈草の実会〉,居住地の地名をつけた地域市民の〈安保批判の会〉〈民主主義を守る会〉など,運動は全国に広がった。運動の形態も,市民集会,講演会,音楽会,バザーをはじめ,公開質問状,会報配布,賛成議員の辞職要求など多様で,持ち味を生かした新鮮さが注目された。
この時期の運動の特徴としては,(1)高度成長により都市の大衆社会化がすすむなかで,運動が展開される社会的・経済的基盤が整った,(2)市民的自由の侵害に敏感に反応する自覚的市民が育った,(3)彼らは既成政党・労組のセクト主義・官僚主義・出世主義に批判的な無党派市民で,少数派としての運動に誇りをもっていた,(4)上からの指示や財政援助がない自まえの運動のため,市民自治能力を身につけねばならなかった,(5)民主的諸制度を活用して自由の枠を広げ,横断的な市民の連帯を模索した,などがあげられる。
1965年に発足した反戦市民組織〈ベトナムに平和を!市民連合〉(ベ平連)は,60年安保の経験と蓄積に立って,市民運動を飛躍的に前進させた。日米同時デモ,ティーチインなどの国際連帯や,絶叫型でないふだん着の運動スタイルで,運動に新風を吹き込んだ。しろうとの運動感覚を重視しながら,市民自治による個人責任を運動の原理に掲げた。全国各地にできたベ平連には,セクト化した学生運動から離れたノンポリ学生が多数参加した。目標も反戦・反基地にとどまらず,反公害,反差別,自然保護にまで及んだ。70年反安保・沖縄返還運動,大学紛争,反公害・乱開発反対運動が三つどもえになって噴出するなかで,市民運動も激動の波に洗われたが,ベトナム和平以後は反戦的色彩がうすれ,女性・障害者・在日外国人への差別撤廃や逮捕者救援など新しい動きをみせながら,しだいに地域の住民運動と重なってくる。
1970年代以降,地方自治体への制度要求をすすめる運動が増えた。区長や教育委員の公選,国会議員の定数不均衡是正,環境アセスメント・情報公開条例の制定,市職員の退職金引下げなど,政治参加への要求が続いている。横須賀,横田などではアメリカ軍の監視運動が市民グループの日常活動として定着した。大衆運動的な盛上りには欠けるが,少人数の地道な運動は各地で継続している。
低成長時代に入り企業社会化と情報管理化がすすむなかで,市民が取り組む問題は複雑になり,解決策もみえにくくなった。市民の関心も身近な生活の質の向上に向けられる。教育,医療,軍事問題,エネルギー問題,高齢化社会,高度情報化社会など,市民の自由権・生存権にかかわる問題は山積している。市民自治への意欲が,これら難問にどう迫るか,市民運動の課題は尽きない。
→住民運動
執筆者:高瀬 昭治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ひとりひとりの市民が民主主義を基礎に、権利意識を自覚し、階層の相違を超えた連帯を求め、特定の共通の目的を達成しようとする運動をいう。この市民運動の特徴は、個人の自主的な参加を前提に、流動的で柔軟な組織を通して、非政治的な市民による非党派的な運動を展開する点にある。かつてのベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)をはじめ、反戦運動、平和運動、反公害運動、反核運動、消費者運動、エコロジー運動などがその例としてあげられる。市民運動は、さまざまな職業に従事している人々によって担われており、特定の職種や職場で働いている人々を基盤に展開される労働運動とは区別される。この市民運動は住民運動としばしば同義に用いられることがあるが、用語が相違しているように、両者は区別されるときもある。この区別は、運動の目的とするところが特定の地域社会に根ざしているかどうか、つまり地域性の問題にかかわってくるものである。その点を別とすれば、市民運動と住民運動はほぼ同義であると考えてよいであろう。しかし、その地域性の問題もかならずしも一義的に理解できるとは限らず、したがって、実際には区別しにくい場合も少なくない。
[高橋勇悦・原田 謙]
このような運動が盛んに展開し始めたのは、いわゆる経済の高度成長が本格化した1960年代の中ごろからである。国は次々と開発計画を打ち出して経済成長を進め、地方自治体も、国の中央集権化が強められるなかで、産業基盤の整備に意を注いだ。その結果は、産業化、都市化は高度に推し進められ、「豊かな社会」ができあがり、「中流意識」階級も90%に達するまでになった。しかし、それは同時に、生活環境の悪化、自然環境の破壊、過密化・過疎化、廃棄物の著増、資源・エネルギーの乱用、人間疎外・個人解体などの、多くの深刻な問題を生み出した。このような問題が多発するなかで多様な運動が盛んに展開するようになったのである。
これらの運動は、各種の公害反対運動(工場公害、交通公害、食品公害など)、福祉・文化・教育に関する公共施設の整備・充実要求運動、「迷惑施設」(ごみ処理施設など)建設反対運動、大規模な公共施設(空港、新幹線、高速道路、原子力・火力発電所など)建設反対運動、大規模開発反対運動(苫小牧(とまこまい)、むつ小川原(おがわら)、志布志(しぶし)など)、全国各地の自然保護運動、景観・町並みを保存する運動など、多様に分化している。
1960年代から1970年代前半にかけて、既存の社会体制に対する異議申し立てを展開し、公共政策に多大な影響を与えた市民運動は、1980年代以降、全体としては沈静化していった。しかしこれまでの運動とは異なる組織形態をとるフェミニズム運動、エコロジー運動、チェルノブイリ原子力発電所事故以降の反原発運動、障害者運動といった単一争点主義の新しい運動が展開されるようになった。これらの運動は「新しい社会運動」とよばれることも多い。具体的に1980年代に展開した運動としては、神奈川県逗子(ずし)市の池子の森における米軍住宅建設反対運動が注目を集めた。また1990年代に入ると、さまざまな開発事業に対する運動が展開された。具体的には、新潟県巻町(現、新潟市西蒲(にしかん)区)の原子力発電所建設をめぐる運動、各地の産業廃棄物処分場反対運動などである。また、阪神・淡路大震災後の神戸空港建設問題、徳島県の吉野川河口堰(よしのがわかこうぜき)建設問題なども脚光を浴びた。
[高橋勇悦・原田 謙]
市民運動ないし住民運動の類型化はいくつか試みられている。たとえば、作為要求型・作為阻止型→地域づくり・まちづくり型、などがそれである。これは単に類型を意味するだけでなく、矢印が示すように、1960年代から1970年代への変容を意味するものにもなっている。1960年代には、教育・福祉施設の増設・充実を求める作為要求型と公害などの生活環境の悪化を招くおそれのある開発行為を阻止する作為阻止型の運動が数多く展開していた。しかしオイル・ショックを境に高度成長期から低成長期に入った1970年代には、開発国家と対峙(たいじ)する告発型の運動から地域づくり・まちづくり型とよぶべきコミュニティ・レベルの運動に移行していったのである。とはいえ、運動の展開は単純に類型的に把握しきれるわけではなく、どの類型の側面も、同時にもつ運動もあるし、また、1960年代の類型が1970年代には消失してしまうのでもない。
1980年代以降の市民運動の展開を特徴づけるキーワードは「ネットワーキング」である。運動の組織形態として、自立した個々の市民運動がアドホックな(特別な目的のための)連合を形成したり、緩やかで水平的なつながりを重視する傾向が強まってきている。ネットワーキングは、アメリカの自発的市民によるさまざまな活動のなかから形成された概念であるが、インターネットといった情報化の進展に伴い、情報メディアを通じた運動の連携(「藤前(ふじまえ)干潟を守る会」の事例などにみられる)は、今日の市民運動がもつ大きな特質となっている。
[高橋勇悦・原田 謙]
『伊東光晴・篠原一・松下圭一・宮本憲一編『岩波講座 現代都市政策Ⅱ 市民参加』(1973・岩波書店)』▽『松原治郎・似田貝香門編『住民運動の論理』(1976・学陽書房)』▽『森元孝著『逗子の市民運動』(1998・御茶の水書房)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
(蒲島郁夫 東京大学教授 / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
…ここでは,従来の大衆運動の戦術における非合理的・熱狂的な要素は後退し,それに代えて,集団的陳情や請願,広告などの手段が多くなる。また,現代社会における市民参加の波の高まりは,市民運動や住民運動という型の政治運動をも一般化させてきている。これらの運動では,大衆運動のように大衆組織を母体とすることなく,関心や利害のある少数者が問題に応じて有志の集団をつくり,自由に運動を展開するのが特徴的である。…
…国の枠をこえた反核平和運動,人権擁護運動,地球環境保護運動などがその例である。ただ多国籍企業が収益率のいかんにより随意に投資先を移動するという,コスモポリタンな行動様式を濃厚にもつのに対し,市民運動はそれぞれの社会の特殊性に即して,〈草の根〉に基盤をおくという土着性の条件を満たすことが必要である。このことは市民運動を,自発的市民参加を基礎に社会に根づかせて市民社会を強化するうえで不可欠である。…
※「市民運動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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