師崎村(読み)もろざきむら

日本歴史地名大系 「師崎村」の解説

師崎村
もろざきむら

[現在地名]南知多町師崎

知多半島の先端に位置し、東に日間賀ひまか島・しの島を望む。六〇―九〇メートル前後の知多丘陵が海辺まで続き海沿いに僅かの低地がある。南東に突出した羽豆はず岬と東北に突出したはやし崎とが師崎湾を抱き、その浜辺に集落がある。

南知多は尾張氏との関係が深く、その一族の師介が支配者となったので、この地名が生れたとも伝える。その後永く熱田大宮司領となり、南北朝時代には宗良親王・脇屋義助幡豆はず城に拠った(新葉集、太平記)。室町期には一色氏が大野おおの(現常滑市)城主となると師崎もその勢力下に置かれた。大永年間(一五二一―二八)一色氏に代わり佐治氏と三河田原たはら(現渥美郡田原町)城主戸田氏とがともに幡豆城に陣代を置き共同管理した。佐治方の陣代千賀氏は師崎に住み、千賀氏は「塩尻」に「九鬼の一族」とあり、千賀重親の時徳川家康に従い大坂の役後戦功により徳川義直の船奉行として一千五〇〇石を与えられ、須佐すさ・師崎・日間賀島・篠島を領有した(千賀氏家譜)。一国一城令により慶長七年(一六〇二)破却、その古材で千賀屋敷と称される居宅を建てた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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