常呂村(読み)ところむら

日本歴史地名大系 「常呂村」の解説

常呂村
ところむら

[現在地名]常呂郡常呂町字常呂・字東浜ひがしはま・字土佐とさ・字岐阜ぎふ・字共立きようりつ・字豊川とよかわ・字富丘とみおか

明治初年(同二年八月から同六年の間)から大正四年(一九一五)まで存続した常呂郡の村。北流してオホーツク海に入る常呂川の最下流部流域と河口部一帯にある。西は鐺沸とうふつ(現佐呂間町)。北はオホーツク海に面する。近世には初めソウヤ場所、のちモンベツ場所のうち。明治初年トコロなどの地を包含して成立した。成立時はトコロ村、明治八年(一八七五)からは常呂村と表記された(開拓使根室支庁布達全書)。「北見国地誌提要」には常呂村とあり、明治六年の戸数一五(平民一・アイヌ一四)、人口はアイヌ五〇(男二三・女二七)・寄留平民四。同九年の北海道大小区画制定により第二七大区三小区に属した(大小区画沿革表)。「北見州経験誌」には明治四年当時の当村の様子を「川ヲ渡リ止宿処アリ(中略)番屋側ニ土人屋アリ。四拾四軒人別男女九拾七人。外ニ倭人一人止宿所ヲ護スルノミ。


常呂村
ところむら

大正四年(一九一五)から昭和二五年(一九五〇)まで存続した常呂郡の自治体。大正四年四月常呂村・太茶苗ふとちやない村・少牛ちいうし村・手師学てしまない村が合併し、二級町村常呂村として成立。同時に鐺沸とうふつ(現佐呂間町)との間で境界変更を行い、字鐺沸(現栄浦地区)編入した。成立時の戸数九二六・人口三千七八二(常呂町史)。同五年四月南部の少牛地区の大部分と手師学地区の一部が野付牛のつけうし町に編入された。同年五月には少牛の大字名が廃止された。同七年市街地拡張により墓地岐阜ぎふ地区に移転、同年常呂電力が送電を始めた。同九年八月の常呂川の氾濫によって家屋一八四戸が浸水したため市街地内で常呂川護岸工事が着工され、昭和三年完工した(常呂町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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