木割(読み)きわり

精選版 日本国語大辞典 「木割」の意味・読み・例文・類語

き‐わり【木割】

〘名〙
① 木、特に薪(まき)用の木を割ること。また、その人。まきわり。
※雑俳・うき世笠(1703)「くくり付・からかさ高ふする木わり」
② 鏃(やじり)一種。小さな目無鏑(めなしかぶら)に似た鹿角製で楯割(たてわり)などという鏃。
※義経記(室町中か)四「船腹にいちゐの木わりを十四五射立てて置きたりければ」
建築物や和船で、各部材の寸法の割合、また、それを決める方式。江戸時代発達した一種の標準寸法で、建築物では柱と柱との間隔を基準とするが、和船では𦨞(かわら)の長さ、帆の反数、櫓数などによって割合を決める。また、和船の場合には単に寸法の意にもいう。木くだき。木くばり。〔早船木割之事(1690)〕

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デジタル大辞泉 「木割」の意味・読み・例文・類語

き‐わり【木割(り)】

木、特に薪用の木を割ること。また、その人。まきわり。
建築物や和船の設計で、各部の寸法、または寸法の割合。また、それを決める方式。柱の寸法などを基準とした比で表す。

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改訂新版 世界大百科事典 「木割」の意味・わかりやすい解説

木割 (きわり)

建築の部材寸法を実寸法でなく他の部材との比例(割合)で示す方法。木砕(きくだき)ともいわれ,初めは部材の木取りを目的とした技術であったが,後には組上げまで規定するように発展した。また木割術ともいい,木割を記述したものを木割書という。柱の間隔(柱間(はしらま))と柱の太さとを基準とし,長押(なげし)・斗(ます)・垂木(たるき)・屋根などの外部はもとより,床(とこ)・違棚・付書院などの内部意匠もすべて部材比例で示す。一種の標準寸法,標準設計である。《愚子見記》(1682)に収録された《三代巻》は,奥書によれば1489年(延徳1)に,春巌昌椿,藤原吉定,藤原縄吉によって書かれたものだが,春巌昌椿を1人とみるか春巌・昌椿の2人とみるか,また近世に至って4回の筆写を経ているためどの程度当初の姿を伝えているかなど問題はあるが,最古の木割書として重要である。これに次ぐのは1608年(慶長13)完成の《匠明(しようめい)》で,平内(へいのうち)吉政・政信父子によって書かれた。《三代巻》が〈一子相伝,他家禁伝〉とし,《匠明》が〈秘すべし,秘すべし〉とするように初期の木割書は秘伝の形式をとり,大工の名門を誇る家に伝えられた。江戸時代中期になるとしだいに公開され,木版本で印刷されて広く普及した。木割書では,天井裏に隠れる部分など,見えない部分の部材についてはほとんど書いてなく,〈口伝あり〉などと記事を意図的に省略した部分もある。書いてない部分は,当時の大工には常識的なことであり,だれでも知っていたと考えるか,あるいは口伝すなわち言葉で伝承されたと考えれば木割が実際の設計資料となりえたことになる。しかし江戸時代の建築の部材寸法は木割どおりのものはほとんどなく,木割だけで建物を建てたとは考え難い。むしろ,木割書を大切に保持して由緒ある家柄の誇りとし,それを読み,分析することによって設計技術をみがくことに意義があったと思われる。江戸時代の建築は大工が木割によって設計したため独創性を失い,画一的なおもしろ味のないものとなったとする見解もあるが,大工が木割ですべての建物を建てたわけではなく,独創的なものも多いことからみて,この説は正しくない。画一的なものが多いのは,建築需要の増大に対し,大工が短期間に設計し,施工するための工夫としてこの方法を選んだからであり,先例墨守を第一としたこの時代の反映でもある。木割と規矩術採用工具の発達などにより江戸時代の大工技術は極められたが,それは,建築の生産力を高める工夫のもたらしたものであり,木割はその工夫の一環として,すなわち技術上の成果として高く評価すべきものである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「木割」の意味・わかりやすい解説

木割
きわり

建物の各部材の寸法やその組合せを比例によって定める方式。建物の規模によって違いがあるが、一般に正面で柱間がもっとも広い中央間を基準とし、その10分の1ないし12分の1を柱の太さに決め、この柱の太さの何割かで長押(なげし)、貫(ぬき)、桁(けた)、垂木(たるき)などの寸法を決める。また、垂木を何本柱間に配するか支割を決めて柱間寸法を考え、垂木6本分で組物の大きさを決める六支掛など、細部も定める。木割は古くから工匠がもっていた経験的手法であり、法隆寺金堂でも桁、肘木(ひじき)などの横材には一定の規格があった。奈良時代においては、木材を製材するのに5、6寸、7、8寸とか、断面を5寸(15センチメートル)と6寸(18センチメートル)、7寸(21センチメートル)と8寸(24センチメートル)と決めて規格材の製産に努めている。このような規格材をどのように使うかを工匠は相伝し、また、建物を実査模倣して構成を定め、建物を建てていた。

 建築図として古いものは石川県金沢市・大乗寺所蔵の13世紀末に中国から将来した『支那禅刹(しなぜんさつ)図式』2巻があり、禅宗様の細部などが図示されている。各部材の比例が細かく定められたのは室町時代後期ころからで、法隆寺の工匠に伝えられた『愚子見記』に、長享(ちょうきょう)3年(1489)の奥書のある『三代巻』があったことが記されている。『三代巻』の内容は簡単なものであったが、1608年(慶長13)につくられた『匠明(しょうめい)』は社寺、住宅など各種建物まで、綿密に木割を定めている。江戸時代になると木割書が種々刊行されるようになり、『武家雛形(ひながた)』『数寄屋(すきや)工法集』『大工規矩(きく)尺集』などが知られている。建築と同じように和船の設計にあたっても木割が用いられ、船底の長さの(かわら)1尋(ひろ)(約1.8メートル)を基準とする尋掛り、櫓(ろ)を基準とする櫓掛り、帆1反を基準とする帆掛りがあり、それぞれ部材の大きさを決定した。

[工藤圭章]

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百科事典マイペディア 「木割」の意味・わかりやすい解説

木割【きわり】

古くは建築に必要な部材の寸法を定めて原木より製材することをいったが,転じて単位寸法(多くは柱の断面)を基にした建築各部の木材の大きさの割合をいう。統一的な比例関係が用いられ,日本建築における設計技法の美的規範となった。江戸幕府の大棟梁(とうりょう)平内(へいのうち)家の伝書《匠明(しょうめい)》が木割書として有名。
→関連項目唐様

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「木割」の意味・わかりやすい解説

木割
きわり

日本建築における各部の比例部材寸法を定める体系。秘伝として伝えられたものであるが,体系的にまとまった木割書で現存するものは桃山時代の『匠明』が最も古く,以後江戸時代になって『武家雛形』など各種のものが刊行された。柱の直径を基準とし,他の部材をその何割と定めることで,基本数値が定められる。

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