国連平和維持活動(PKO)協力法 国家や民族間の紛争解決を目指すPKOに参加する目的で1992年に成立した法律。武力を行使しないことを前提に/(1)/紛争当事者間の停戦合意/(2)/紛争当事者による日本のPKO活動参加への同意/(3)/中立的立場の厳守/(4)/以上が満たされなくなった場合の即時撤退/(5)/武器使用は要員の生命保護など必要最小限―の「参加5原則」を定めている。92年のカンボジアから南スーダンまで航空輸送を除いて計9回、延べ1万人近い自衛隊員を派遣した。道路建設などを業務とする「施設部隊」が多い。
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正式名称は「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」(平成4年法律第79号)で、1992年(平成4)8月施行。略称国際平和協力法。国際平和協力隊を設置し、国連平和維持活動(PKO=Peace-Keeping Operation)や国連の決議等を受けて行われる国際救援活動に対し、適切かつ迅速な協力を行うための体制を整備するもの。活動への参加は、(1)停戦合意、(2)紛争当事者の受け入れ同意、(3)中立、(4)独自判断による撤退、(5)生命・身体の保護に限定した武器の使用、の5原則を前提として自衛隊の部隊の参加を認めることとして制定された。また、自衛隊の部隊の国連平和維持軍(PKF=Peace-Keeping Forces)への参加についても定めされており、参加する場合は国会の事前承認が必要とされているが、制定当初は別に法律で定める日までこのPKF参加は凍結されていた。
制定の論議では自衛隊のPKF参加については憲法9条との関係、派遣業務の範囲、自衛隊員の身分、国会の関与のあり方などが論点になり、激しい反対運動が展開された。国会でも、反対党の徹底した牛歩戦術や、社会党、社会民主連合による議員辞職願の提出など緊迫した攻防となったが、結局PKF参加の凍結、PKF参加の国会事前承認、3年後の見直しなどを内容とする大幅な修正が行われ、1992年6月に可決、成立した。
制定後、総理府(現内閣府)国際平和協力本部が1996年9月にPKO協力法の見直しについて、部隊指揮官の判断での武器の使用、国連以外の組織が実施する選挙監視活動に対する派遣、人道的国際救援活動に対する物資協力の場合などについての参加5原則の停戦合意条件の緩和などや、そのほかの運用面での改善などの検討を内容とする報告書を当時の首相橋本龍太郎に提出し、1998年6月、それらを内容とする改正法が成立している。その後も、2001年12月には、PKF参加を別に法律で定める日まで凍結する規定を削除する改正が行われ、PKF参加凍結が解除されたほか、武器の使用規定についても、自己の管理の下にある者の生命、身体の保護のための武器使用や武器等の保護のための武器使用を認める内容に改正された。
この法律に基づき、1992年にカンボジア、1993年にモザンビーク、1994年にザイール(現コンゴ民主共和国)、1996年に中東ゴラン高原、2000年に東チモールに自衛隊の部隊が派遣されている。1999年には東チモールからの避難民救援のためインドネシアへ航空自衛隊が派遣された。カンボジアへの派遣では文民警察官が死傷し大きな議論となった。そのため、ルワンダ難民救済のためのザイール派遣では初めて軽機関銃1丁を携行することとされた。また、ゴラン高原への派遣では、他国軍との共同訓練に自衛隊が参加し、これを問題とする意見もあった。
[浅野一郎・浅野善治]
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1992年(平成4)6月15日に成立した「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」。国連の要請にもとづいて自衛隊を海外派遣するための法律。この行為が日本国憲法の禁ずる「武力の行使」にあたるかどうか問題となるが,政府は基本五原則(当事者間の停戦合意,紛争当事者の派兵への同意,中立的立場の厳守,武器使用の限定,撤収の自由)が満たされている限り合憲であるとする。同年9月から翌年10月のカンボジアへの派遣が本法行使の嚆矢(こうし)となった。
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