西城町(読み)さいじようまち

日本歴史地名大系 「西城町」の解説

西城町
さいじようまち

[現在地名]西城町西城

入江いりえ村の東にあり、西城川西岸に発達した町。南に大富おおとみ山がそびえ、西に荻野おぎのの丘陵に続く明神みようじん山があり、北は曲流する西城川と支流の大屋おおや川が地域を限っており、南北約八町・東西約五町(国郡志下調書出帳)の広さである。北東は西城川を挟んで大佐おおさ村、南はくり村と接する。古くは入江村のうちであったが、寛文一〇年(一六七〇)町場の発達に伴い分れて西城町となった。広島藩蔵入地。

「芸藩通志」に「西城の字、天正の比は西条と書けりしを寛永年中より城の字に改めしと見ゆ」とある。西条さいじようの名称については尺田の熊野しやくたのくまの神社に伝わる文亀二年(一五〇二)の棟札に「備後州奴可郡西条保久里村大檀那源親盛」と記されるのが早いものとされるが、この場合の西条は奴可ぬか郡西部(現西城町域)全域をさしている。天文二年(一五三三)宮高盛が大富山城を居城として以降、城の北麓に集落が発達し始め、ことに江戸時代には西城川源流域をはじめ近郷で鉄山業が繁栄したので、西城川東岸の大佐村には鍛冶の町として五日市いつかいちが発達し、西岸には鉄の集散地として当町が発展し、西城川を挟む両岸の市街化が進んだ。


西城町
さいじようちよう

面積:二二五・九〇平方キロ

比婆郡の中央部に位置し、東は東城とうじよう町、南は庄原市、西は比和ひわ町および庄原市、北は島根県仁多にた横田よこた町および鳥取県日野ひの日南にちなん町と接する。北部に烏帽子えぼし(一二二五・一メートル)比婆山(一二六四メートル)など一二〇〇メートル以上の五峰からなる比婆山連峰をはじめ、三国みくに(一〇〇四・一メートル)岩樋いわひ(一二七一メートル)道後どうご(一二六八・九メートル)などの高峰が西から東へ連なる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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