平柴村(読み)ひらしばむら

日本歴史地名大系 「平柴村」の解説

平柴村
ひらしばむら

[現在地名]御嵩町御嵩 平芝ひらしば

御嵩村南東、可児川南岸にある。東・南・西は低い丘陵、中央部を北流して可児川へ注ぐ平芝川沿いに平坦地がある。御嵩村枝郷の一で、元禄郷帳に村名がみえる。尾張藩領。平芝とも記され、元禄高寄帳は新村と注記する。「濃州徇行記」では御嵩村と一括して記され、家数約一三、田二町九反余で畑が多い。用水は平芝川から引く。


平柴村
ひらしばむら

[現在地名]長野市安茂里あもり 平柴

あさひ山東南の山腹から山麓に散在する村落。北・東に裾花すそばな川がめぐり、南は小柴見こしばみ村に接続する。

平芝とも書き、至徳四年(一三八七)の市河頼房軍忠状(市河文書)に「右当国信州凶徒(中略)四月廿八日引率数多勢、於善光寺捧義兵、閏五月廿八日守護所平芝寄来間」とあるように、信濃守護所が置かれた所である。

村名の初見は正保四年(一六四七)の信濃国高付で「善光寺寺領高六拾九石七斗九升六合 皆畑平芝村」とある。慶長一六年(一六一一)八月二六日の松平忠輝の安堵状(善光寺文書)に「善光寺領朝日山、従先代、如来之御山ニ相定、渡来候処、此比中絶之由候」とあるように、「朝日山」(旭山)善光寺如来の御山であったので、善光寺領三輪みわ村の内の六九石七斗九升六合分を松代領とし、その代りに小柴見村平柴分六九石余を善光寺領とし、村民に「朝日山」の樹木盗伐を防がせたものである。


平柴村
ひらしばむら

[現在地名]可児市久々利くくり

原見はらみ村の北にあり、久々利郷中当村のみ分水嶺を越えた北の可児川流域山麓に位置する。久々利七郷の一。慶長郷帳などには久々利村と一括記載され、尾張藩領。寛永年間(一六二四―四四)の御両家并九人衆高概免覚書(西山文書)に村名がみえ、高一四石余、山村八郎左衛門の給地。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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