日本歴史地名大系 「広厳院」の解説
広厳院
こうごんいん
[現在地名]一宮町金沢
寛正年中(一四六〇―六六)雲岫宗竜による開創。雲岫に帰依した古屋対馬守(塩田長者と称され、法名今泉道珠)が開基となり(甲斐国志)、守護武田信昌も境内山林を寄進するなど(文明一九年一一月日「武田信昌寄進状」広厳院文書)、これを外護した。雲岫は最勝院開山吾宝宗
の法嗣で、甲斐入国ののちは
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
寛正年中(一四六〇―六六)雲岫宗竜による開創。雲岫に帰依した古屋対馬守(塩田長者と称され、法名今泉道珠)が開基となり(甲斐国志)、守護武田信昌も境内山林を寄進するなど(文明一九年一一月日「武田信昌寄進状」広厳院文書)、これを外護した。雲岫は最勝院開山吾宝宗
の法嗣で、甲斐入国ののちは
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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