座主坊村(読み)ざすんぼうむら

日本歴史地名大系 「座主坊村」の解説

座主坊村
ざすんぼうむら

[現在地名]立山座主坊ざしゆぼう

白岩しらいわ川の支流小又おまた川の源流部にあたる山間高台に位置し、北は松倉まつくら村・小又村。南西方芦峅寺あしくらじ村と結ぶ道、西方の座主坊新村を経て栃津とちづ村に至る栃津川沿いの道がある。村名は立山の開山者佐伯有頼の従者の座主の坊という僧にちなむと伝える。この僧は当地にとどまり、私邸内に社殿を造営し、立山権現の分霊を祀り、その後境内に人家ができたともいわれる。また岩峅いわくら寺・芦峅寺の宿坊の一部がここにあったともいわれる(五百石地方郷土史要)正保郷帳によれば高七九石余、田方二町六反余・畑方二町七反。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の草高五六石、免五ツ一歩、小物成は山役七六匁・漆役三匁・蝋役四匁・炭竈役三九匁、享保一三年(一七二八)の検地引高二二石余(三箇国高物成帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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