日本歴史地名大系 「座光寺」の解説 座光寺ざこうじ 鳥取県:鳥取市旧高草郡地区菖蒲村座光寺[現在地名]鳥取市菖蒲菖蒲(しようぶ)集落の西方山裾にある。菖蒲山と号し、天台宗。本尊は薬師如来。もと薬師寺と号する大寺であったと伝え(因幡志)、集落の西方田地に白鳳期創建とされる寺(菖蒲廃寺)の塔心礎が残る。延喜五年(九〇五)九月一〇日の東大寺領因幡国高庭庄坪付注進状案(東南院文書)によると、宝亀四年(七七三)には北一条散岐(さぬき)里一九坪一町一反のうちに「薬師寺二段」があると記され、弘仁一四年(八二三)および嘉祥三年(八五〇)の図帳には同所に薬師寺田一段がみえる。江戸時代には同寺の本尊は京都平等(びようどう)寺、通称因幡堂に移されたと伝えられていた。鎌倉時代末期の作とされる因幡堂薬師縁起(東京国立博物館蔵)によると、因幡守として任地にあった橘行平は霊夢によって「賀留津」の海中から薬師如来像を引上げ、これを「味野河のはたに」堂を建てて安置した。長保五年(一〇〇三)、この像は任を終えて京都に帰っていた行平邸へ飛来したので、行平はその屋敷を仏閣として薬師像を祀り、その霊験で行平は寛弘二年(一〇〇五)再び因幡守に任ぜられたという。長保五年に行平が京都にいたかどうかは不明だが、寛弘二年には国司であったことが確認できる(「権記」同年四月一四日条)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by