江戸時代の盲人が幕府の監督をうけて貸し付けた庶民金融。公卿久我家を本所とする京都黒川,江戸杉山両検校支配の瞽座(こざ)(検校,勾当,座頭)の身分72階の格式上げ上納金や,盲人の伝統的職業である三絃教育とあんま,鍼術(しんじゆつ)から得た収入を元手に貸し付けた。瞽座が巨額の資金をもつ姿は,例えば,河竹黙阿弥の歌舞伎狂言の座頭殺し《蔦紅葉宇都谷峠(つたもみじうつのやとうげ)》で,盲人文弥が盲目の原因を作った姉の吉原身売り金100両を得て,昇格しようと上京途中に殺される悲劇にもうかがえる。返済期限の厳守,担保代償の優先などに特別の保護があったから,余裕金をもつ階層は個人の金融営業より安全確実な座頭金に投資し,その名目で高利(月8分前後)を獲得した。酒田の本間家が巨大豪商となる基礎は,17世紀末の座頭金への連判貸しである。盲人が宮家や社寺の名目を借りて金融を営む場合もあった。いわゆる〈あこぎ〉な取立てと高利で江戸時代,庶民の口の端にかかり,一般に恐れられたといわれる。
執筆者:斉藤 博
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…手形割引,売渡し担保による金銭の交付も含まれる。江戸時代に入ると,貨幣経済の発達とともに諸侯,武士を相手とする両替商,小銭屋(大坂では掛屋,江戸では札差と呼ぶ)が生まれ,庶民を相手とする盲金(めくらがね)(座頭金),烏金(からすがね),百一文等の貸金業(高利貸)がおこった。明治・大正時代には貸金業が多く,農民は多くの被害に遭い,一般の人々は高利にあえいだ。…
…金融業者は古今東西,時と所とを問わず見られたものであるが,江戸時代には質屋のように担保の物品をとらずに金を貸借するのを素金(すがね)(素銀)と呼び,都市の細民に零細な素金を貸して高利をとる者も多かった。座頭金(ざとうがね)は鍼(はり),あんま,遊芸などを業とする盲人が行ったもので,一般の高利貸よりも利息が高く,取立てがきびしいことで知られた。烏金(からすがね)というのは一昼夜を期限としたもので,明烏(あけがらす)が鳴けば返すというのでこの名があった。…
…礼金や利息を天引きし即日返済や日ごとに割賦返済する烏金(からすがね)や日済金(ひなしがね)などは近世後期から明治期に全盛となる。盲人保護に付随した座頭金は,先祖供養の寄付金を元本とする祠堂金や寺社修復料積立てや宮家の高名を利用する資本などとともに名目金として三都(江戸,京都,大坂)や城下町に浸透した。これらは公権力の名の下に元利保護が徹底し,したがって貸金が豊富に集まった。…
…座頭になると,紫の菊綴の長絹(ちようけん)に白袴をはき,塗杖を使うことが許され,また庶民の出産,結婚,建築,葬礼,法要など吉凶17種の場合に運上(うんじよう)金を取り立て,幕府から冥加金が与えられた。こうして幕府の保護のもと,当道の四官になると社会的地位も高く,財力も豊かとなり,さらに座頭金(ざとうがね)とよばれた高利貸の営業権が認められ,その貸付金は官金と称して他の債務に対して取り立ての優先権が保障された。座頭金は高利と過酷な取り立てで,民衆を苦しめる場合も多かった。…
…また,将軍徳川綱吉の侍医杉山和一(わいち)によって盲人に医業への道がひらかれ,近世後期にははり,あんまが芸能に代わって盲人の主要な職業となるまでに普及した。江戸では大名,武家を相手とする座頭金(ざとうがね)(高利貸)が盛行して巨富を積む盲人も出現し,学問の世界では《群書類従》を編纂した塙保己一(はなわほきいち)が頭角を現した。 他方,近世社会の底辺には三味線を手に浄瑠璃,小歌をうたって都鄙(とひ)をめぐり,あるいは吉凶の門に立ち,米銭を乞う座頭・瞽女(ごぜ)の姿がひろく見られた(当道の官位の一つである〈座頭〉は江戸時代には盲人男子一般をさして用いられた)。…
※「座頭金」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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