建久新制(読み)けんきゅうしんせい

百科事典マイペディア 「建久新制」の意味・わかりやすい解説

建久新制【けんきゅうしんせい】

後鳥羽天皇後白河院の代,鎌倉政権成立後の建久2年(1191年)3月に相次いで発令された公家新制。初めに出された17条は保元新制元年の令を継承し,新立荘園の禁止,社寺領の注進など国土統治に関する法令が多い。前年源頼朝上洛を受け,京機ほかの官司および鎌倉政権に盗賊逮捕を命じる条項が含まれる。次いで出された36条は保元新制の2年の令を継承し,朝廷廷臣・京都市中に関する法令が多い。後者はその後も出された公家新制規範となった。→寛喜新制弘長新制
→関連項目後白河天皇

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改訂新版 世界大百科事典 「建久新制」の意味・わかりやすい解説

建久新制 (けんきゅうしんせい)

後鳥羽天皇の建久2年(1191)3月に宣下された二つの公家新制の総称。まず22日に全17条(Ⅰ令)が宣下され,6日後の28日に全36条(Ⅱ令)が宣下された。Ⅰ令は保元1年(1156)新制(保元新制)を継承し,新立荘園の停止,神人僧侶の濫行停止,社寺領の注進,国司吏務の励行など,全条が地方政治を含む統治権法的性格が強い。それに比してⅡ令は保元2年新制を継承して,仏神事の興行,過差の停止,朝廷公事の精勤,京都の治安警衛など,京都の廷臣に関する法が多い。このように相ついで性格を異にする二つの新制が宣下されることはまれで,内乱の終息と鎌倉政権の成立という新事態に対応して,全国的な統治権的法規範を打ち出したのであろうか。Ⅱ令はその後の新制の規範となったが,Ⅰ令はほとんど継承されなかった。《三代制符》所収の宗性上人手沢写本が現在見うる唯一の伝本。《大日本史料》《鎌倉遺文》所収。
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