三家村(読み)みつえむら

日本歴史地名大系 「三家村」の解説

三家村
みつえむら

[現在地名]豊岡村三家

天竜川の下流域に位置する輪中集落。北は壱貫地いつかんじ村、南は松之木島まつのきじま村。松平忠頼領郷村帳に村名がみえ高一八一石余。浜松藩領国領組に所属。慶安三年(一六五〇)検地皮切りに万治三年(一六六〇)・寛文一一年(一六七一)・延宝元年(一六七三)・元禄二年(一六八九)・正徳二年(一七一二)・享保一〇年(一七二五)と、洪水のあと度々検地を実施(秋山家文書)。寛文一一年の年貢免状(同文書)では高一八〇石余で取米は七四石余。庄屋は秋山家の世襲正保郷帳によると皆畑。嘉永六年(一八五三)の家数八三・人別四一〇。産物人参牛蒡・長芋など(秋山家文書)。場所柄から水害が多く、嘉永三年七月の大水の際には村全体が流されて川下へ移動したほどで、安永五年(一七七六)には中瀬なかぜ(現浜北市)との間の芝間境論があり、文政一二年(一八二九)と天保三年(一八三二)には下神増しもかんぞ村との間に村境争論が起きた。


三家村
みつえむら

[現在地名]湯原町禾津いなつ

鉄山かねやま川右岸に位置し、同川は当地で旭川右岸に合流する。南は土居どい村、東は旭川を隔てて久見ひさみ村。正保郷帳によれば田高四四石余・畑高一五石余、元禄一〇年(一六九七)美作国郡村高辻帳によれば改出高二五石余・開高四石余。元禄初頭の家数一〇・人数六四(作陽誌)領主交替仲間なかま村に同じ。宝暦一〇年(一七六〇)の村明細帳(進文書)によれば反別は田方四町五反余・畑方二町六反余、毛付高六七石余、百姓持林四反余(運上銀一匁五分余)、鉄砲役一挺(運上銀一匁)、川除三ヵ所(鉄山川二・旭川一)、井堰一、橋一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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