後晋(読み)コウシン

山川 世界史小辞典 改訂新版 「後晋」の解説

後晋(こうしん)
Houjin

936~946

五代第3代の中原王朝。後唐の重臣石敬瑭(せきけいとう)(高祖)が契丹(きったん)勢力を導入して建国。燕雲十六州契丹割譲し消極外交を行い,民生安定と集権化を策したが,契丹に滅ぼされた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「後晋」の解説

後晋
こうしん

936〜946
五代第3の王朝
突厥 (とつけつ) 族沙陀 (さだ) 部出身の河東節度使石敬瑭 (せきけいとう) が契丹の援助を得て後唐 (こうとう) を滅ぼし建国,開封 (かいほう) に都した。契丹に対し臣礼をとり,歳貢および燕雲十六州の割譲など従属外交をとった。次の出帝のとき,対契丹強硬論に動かされ,契丹と戦って敗れ,出帝は捕らえられて滅んだ。

後晋
ごしん

こうしん

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改訂新版 世界大百科事典 「後晋」の意味・わかりやすい解説

後晋 (こうしん)
Hòu Jìn

(五代)

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百科事典マイペディア 「後晋」の意味・わかりやすい解説

後晋【こうしん】

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世界大百科事典(旧版)内の後晋の言及

【晋】より

…中国,五代第3番目の王朝。後晋ともいう。936‐946年。…

【五代十国】より

…中国で,907年(天祐4)にが滅び,960年(建隆1)にが成立して979年(太平興国4)に統一を完了するまでの時期を,五代十国時代という。この間,華北では後梁,後唐,後晋,後漢,後周の5王朝が興亡したので五代といい,その他の地域に前蜀,後蜀,,南唐,呉越(びん),荆南(南平),,南漢,北漢などが併存したので十国という。唐代後半の藩鎮割拠という分裂状態が唐の滅亡で極まったのがこの時代である。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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