デジタル大辞泉
「後瀬山」の意味・読み・例文・類語
のちせ‐やま【後瀬山】
福井県小浜市の小山。[歌枕]
「―後も逢はむと思へこそ死ぬべきものを今日までも生けれ」〈万・七三九〉
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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のちせ‐やま【後瀬山・後背山】
- 福井県小浜市中央部の小山。中世末期、武田氏が山頂に後瀬山城を築いたところから城山とも呼ばれる。
- [初出の実例]「後湍山(のちセやま)後も逢はむと思へこそ死ぬべきものを今日までも生(い)けれ」(出典:万葉集(8C後)四・七三九)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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後瀬山
のちせやま
伏原の西南にあり、標高一六八メートル。高くはないが小浜湾からの山姿は端麗で、小浜の象徴として親しまれる。山裾北側を通る丹後街道を見下す要害の地で、中世後期には山頂に若狭守護武田氏の本城が築かれた。山裾には妙興寺・八幡神社・発心寺など中世以来の社寺がある。近世の地誌「若狭郡県志」は武田元光築城により御城山と俗称、その後愛宕神社を建てたので愛宕山とも称するという。
「万葉集」巻四の坂上大嬢と大伴家持の贈答歌に
<資料は省略されています>
と歌われ、「枕草子」の「山は」の段も「後瀬の山」をあげる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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