デジタル大辞泉
「後趙」の意味・読み・例文・類語
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こう‐ちょう‥テウ【後趙】
- 中国、五胡十六国の一つ。三一九年、羯(けつ)族の石勒(せきろく)が建国。三二九年には前趙を併合して華北に勢威をふるったが、三五一年、七代で漢人冉閔(ぜんびん)に滅ぼされる。ごちょう。
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後趙
こうちょう
Hou-zhao; Hou-chao
中国,五胡十六国の一つ。匈奴系統の羯 (けつ) 族の石氏の建てた国 (319~351) 。漢 (前趙) の劉氏のもとで襄国 (河北省 邢台) を本拠として勢力をたくわえた石勒 (せきろく) は,自立して趙王と称した (319) 。これを後趙という。太和2 (329) 年には前趙を滅ぼし,淮水以北から西は陝西,甘粛に及ぶ華北のほぼ全域を勢力圏に収めて,建平1 (330) 年皇帝の位につき,中国文化の復興に努めた。第3代の石虎は外征を事とし,奢侈を好み,国力を消耗させた。第5代石遵,次の石鑒も将軍冉閔 (ぜんびん) に殺され,冉閔は独立して魏と称し,石氏一族を滅ぼした (351) 。
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後趙
こうちょう
319〜351
五胡十六国の一国
羯 (けつ) 族の石勒 (せきろく) により建国。彼は匈奴 (きようど) が建てた漢に仕えていたが自立し,河北・山西を支配した。329年前趙を滅ぼし,330年臨漳(河北)を都として帝位についた。彼の死後,漢人による羯人の大虐殺が行われ,衰えた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の後趙の言及
【五胡十六国】より
…漢族政権は江南に亡命をよぎなくされ(東[晋]),ここに華北は五胡十六国時代となる。 前趙は一時,関中(渭水盆地)一帯をも占領したが,匈奴の一派羯族出身の[石勒]に併呑された(後[趙])。しかし後趙もやがて混乱状態におちいった。…
【石勒】より
…中国,後[趙]の創建者。幼名
(はい)。…
【趙】より
…中国,五胡十六国の一つ。後趙ともいう。羯(けつ)族の[石勒](せきろく)ははじめ前趙に臣属していたが,前[趙]の混乱に乗じ華北地方東半部を蚕食して趙王国を建て,前趙を併呑して330年(建平1)帝位についた。…
※「後趙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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