改訂新版 世界大百科事典 「石虎」の意味・わかりやすい解説
石虎 (せきこ)
Shí Hǔ
生没年:?-349
中国,後趙の君主。字は季竜。石勒(せきろく)の甥。生来勇武で,石勒の片腕として華北統一に勲功を立て,国軍の全権を掌握した。石勒の子石弘を廃して天王の位につき,鄴(ぎよう)に遷都した。その治世15年間は前趙,後趙を通じて南匈奴系国家の最盛期であったが,彼は政務を皇太子石邃(せきすい)にゆだねて遊猟と酒色にふけり,豪奢な宮殿を造営して国力を疲弊させた。石邃も乳母を信任したので朝政は私情に左右された。さらに兵権を分掌する諸王たちのため君主権はたえず動揺した。石邃は父を殺して独裁権を振るおうとしたが計画が漏れて誅された。その後も宗室の間に殺戮が繰り返され,石氏の権力は衰弱に向かった。石虎は政治の乱脈を自覚しており,仏図澄(ぶつとちよう)を顧問としてしばしば政見を問うているが,公権力確立に努力を傾注するには至らず,みずからも快楽と恣意に身をゆだねるに終わった。晩年になって皇帝を称したがまもなく病没,これを機に後趙は内乱状態に陥った。
執筆者:谷川 道雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報