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中国、五胡(ごこ)十六国時代の五胡の一つ。319年に後趙(こうちょう)を建てた石勒(せきろく)は羯族出身である。彼らが「羯」とよばれたのは、2~3世紀に中国北部に南下した匈奴(きょうど)の19の構成種族の一つで、山西省中部山間部に入居したKhes(あるいはKit。石を意味するエニセイ語)を、「去勢した羊(ひつじ)」を意味する「羯」と音訳したため、とする説が有力である。後趙王室がその姓氏を石と称したのもKhesの意訳と思われる。彼らは隆鼻、深目、長鬚(ちょうしゅ)(長いあごひげ)という身体的特徴をもっていたことから、その民族系統を、匈奴に服属した中央アジアのイラン系民族とする説もある。後趙が滅亡すると羯族は分散してしまうが、南北朝から隋(ずい)・唐(とう)時代の文献には、匈奴や鮮卑さらには契丹(きったん)など華北に入居した異民族の蔑称(べっしょう)として「羯胡」「羯虜(けつりょ)」「戎羯(じゅうけつ)」などの語がしばしば使われている。
[佐藤智水]
匈奴(きょうど)系諸種族のなかで,五胡十六国時代に中国に侵入した五胡の一つ。羯出身の石勒(せきろく)は前趙(ぜんちょう)を滅ぼして五胡十六国の一つである後趙(こうちょう)を建国(330年)したが,後趙は7代23年で冉魏(ぜんぎ)に滅ぼされた。
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…4世紀初頭より約1世紀半,中国華北に分立興亡した国家群,あるいはその時代をいう。主権者の多くは五胡すなわち匈奴(きようど)・羯(けつ)(匈奴の一種)・鮮卑(せんぴ)(東胡系)・氐(てい)(チベット系)・羌(きよう)(チベット系)の非漢族で,これまでの漢族による中国統治の流れを大きく変えた時代である。また牧畜・狩猟民族と農耕社会との接触が深まり,それが政権の形成にまで発展した,文化史上特色ある時代である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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