日本歴史地名大系 「御代村」の解説 御代村みだいむら 三重県:阿山郡伊賀町御代村[現在地名]伊賀町御代柏野(かしわの)村の東南にあり、村のやや北部を柘植(つげ)川が西流する。集落はおもに柘植川の北側にある。中世に柏野の市が開かれた所と伝えられる。柘植川右岸は大和街道で、集落中央から山田(やまだ)(現大山田村)方面への道がある。貞享四年(一六八七)新検を改めている。本高九八二・四五五石、平高一〇三六・八石。藤堂玄蕃・同監物の給地。寛延(一七四八―五一)頃の戸数八七、人口三五三、馬二、牛二〇。神社は諏訪・天長(てんなが)明神、寺は専念(せんねん)寺(宗国史)。天長明神は川東(かわひがし)字神田(こうだ)にあり、通称天長山とよばれる丘陵端北側に位置し、背後に天長古墳がある。 御代村みよむら 福島県:いわき市旧磐城市地区御代村[現在地名]いわき市鹿島町御代(かしままちみよ)矢田(やだ)川左岸にあり、対岸は林城(りんじよう)村、南は相子島(あいこじま)村・岡小名(おかおな)村、北東は船戸(ふなど)村。磐前(いわさき)郡に属した。近世の領主の変遷は磐城平藩領から延享四年(一七四七)以降幕府領。文禄四年(一五九五)の四郡検地高目録にみよ村とあり、高一五九石余。慶長一三年(一六〇八)の岩城領分定納帳(内藤家文書)では高二七四石余。正保郷帳では田方二三三石余・畑方四〇石余。元禄郷帳では高三〇五石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by