精選版 日本国語大辞典 「顧炎武」の意味・読み・例文・類語
こ‐えんぶ【顧炎武】
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中国、清(しん)代初期の思想家、学者。幼名は絳(こう)。明(みん)朝滅亡後改名し、名を炎武、字(あざな)を寧人(ねいじん)、号を亭林とした。江蘇(こうそ)省崑山(こんざん)県の人。名家に生まれ、清軍南下に際して抵抗運動を行う。その後も家の没落、筆禍事件に連座して投獄などを体験、朝廷の招聘(しょうへい)を死を覚悟で拒絶、住居を定めず一生を旅寓(りょぐう)に終えるなど数奇な運命をたどった。旅途や旅寓で学問著述をして、『日知録(にっちろく)』『音学五書』『天下郡国利病(りへい)書』などの名著を残し、黄宗羲(こうそうぎ)、王夫之(ふうし)とともに清初の三大思想家に数えられる。旧来の観念論的な性理学や心学を批判し、同時代の資料を重んずる実証的な経書研究法を樹立し、考証学の開祖ともいわれる。炎武の学問は、明朝滅亡の危機意識を内に秘めて政治社会に有用なものだけを研究するという態度を堅持するものであり、「天下を保つのは、賤(いや)しい匹夫にも責任がある」とのことばは、清末の変法派にも愛唱された。
[佐野公治 2016年3月18日]
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1613~82
明末清初の学者。江蘇省崑山(こんざん)の人。明の遺臣として清に仕えず,学問,著述に専念。実証主義による経世実用の学を尊び,清朝考証学の基礎を開く。『日知録』『天下郡国利病書』『音学五書』などを著す。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…宋の石刻の学は,北宋末の趙明誠《金石録》30巻,南宋洪适(こうかつ)の《隷釈》27巻,《隷続》21巻と続く。金文と同様に研究の次の頂点は清代で,顧炎武《金石文字記》6巻,朱彝尊(しゆいそん)《金石文字跋尾》6巻がその口火を切った。 石刻研究は,石刻と歴史文献との差異を考証する方向と,文字を書法,芸術作品として扱う方向に大別される。…
…対象とする領域は,経学を中心に,文字学,音韻学,歴史学,地理学,金石学などきわめて広範にわたっている。 清代の学問の開祖となったのは,経学の方面では顧炎武,史学の方面では黄宗羲である。彼らは,明王朝の滅亡という事態に直面して,強い実践への関心から,明代の学問の空疎なるを慨(なげ)いて実事求是の学問を追求していった。…
…水陸交通の中継地であり,水稲,小麦,菜種などの農業もさかん。明末・清初の学者顧炎武の出身地でもある。県城の北西の平地にひとりそびえる山は玉峰山(馬鞍山)という。…
…南朝梁の武帝が周興嗣(?‐520)に命じ,王羲之の書の中から1000字を選び,すべて4字1句の重複のない押韻対偶の文に仕立てさせたものという。しかし清の顧炎武の《日知録》によれば,周興嗣の伝をのせる同じ《梁書》の〈蕭子範伝〉には,南平王が蕭子範(486?‐549?)に千字文をつくらせたが,〈其の辞甚だ美,記室蔡遠に命じこれに注釈せしむ〉とあり,さらに《旧唐書》経籍志には〈千字文一巻蕭子範,又一巻周興嗣撰〉という。顧炎武はさらに《旧唐書》に先立つ《隋書》経籍志に〈千字文一巻梁給事郎周興嗣撰,千字文一巻梁国子祭酒蕭子雲注〉とあるのを引き,《梁書》に蕭子範が作って蔡遠が注釈を加えたというのと異なることを注意している。…
…中国,清初,顧炎武(こえんぶ)が編纂した地理,経世の書。明代の地方志を中心に,秦議類などから,天下の政治,経済の得失に関係する材料を抽出し,地域別に分類配列する。…
…なかでも著しい成果をあげたのは古音の研究である。まず顧炎武が《音学五書》を著して,古音を10部に分けた。つづいて江永が《古韻標準》を著し,13部とし,段玉裁が《六書音韻表》で17部に分け,戴震は《声類表》を著し,9類25部とした。…
※「顧炎武」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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