中国,明代末から清代初の学者,思想家。字は太沖,号は梨洲,南雷先生とも称せられる。浙江省余姚県の生れ。彼は宦官の魏忠賢の専権横暴を糾弾して獄死した東林党の黄尊素を父としていたので,幼少のときから強い政治意識をいだいていた。崇禎帝の即位(1628)の後,父の名誉は回復されたが,刑部で審問中の魏忠賢一味の許顕純を鉄錐で刺し,同じく李実の賄賂を暴露するなど,宦官派の罪行をきびしく追求した。さらに,当時,宦官派の残党である阮大鋮が政界に自派勢力を拡張しようと画策していたのを阻止するため,復社の社員を含む南京の学生148名を結集して,〈南都防乱公掲〉を発表して指弾した。明王朝の滅亡(1644)の後,彼は一時,南京の福王のもとにいたが,清軍の進入のために故郷に帰り,魯王のもとにあって反清抵抗運動を続け,1649年(順治6),魯王の命で日本の長崎にきて援軍を求めたが失敗した。《日本乞師紀》《海外慟哭記》は,その記録である。
明王朝復興の望みが絶たれると故郷で学問と著述に専念した。新しい清王朝には出仕しなかったが,康煕帝が明代史を編纂しようとしたときには,弟子の万斯同と子の黄百家を送り史館に入れて協力させた。彼の著述は,きわめて多いが,最も有名なのは,明代学術史である《明儒学案》62巻,宋・元学術史である《宋元学案》100巻(全祖望との共著)で,両書は宋代以後の学術思想を論ずる場合に必須のものである。また,《明夷待訪録(めいいたいほうろく)》1巻は,鋭い君主制批判と民本主義的内容のために,清末の改革運動のなかで再発見され,これによって黄宗羲は〈中国のルソー〉と称された。そのほかに漢代易学を再評価した《易学象数論》や明代の文章を集めた《明文海》《明文案》《明文授読》などがある。なお,彼の学問は劉宗周(号は念台)から出ていて,その慎独説とともに史学をも受けつぎ,浙東学派の開祖とされている。
執筆者:坂出 祥伸
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中国、清(しん)代初期の思想家、学者。字(あざな)は太沖(たいちゅう)、号は南雷、梨洲(りしゅう)。浙江(せっこう)省余姚(よよう)県の人。東林派官僚の子として生まれる。若いころ、殉難した父の名誉回復を求めて政治運動に投じ、清軍南下に際しては義勇軍を組織して抵抗し、援軍を求めて長崎に来航したともいわれる。清朝体制確立ののち著述に専念し、『明夷(めいい)待訪録』『明儒(みんじゅ)学案』『易学象数(しょうすう)論』などの名著を残した。思想はその師劉宗周(りゅうそうしゅう)を通じて陽明学の穏健な側面を継承し、観念論的な心学の横流を批判して、経世済民を志向する実証的学風を樹立した。顧炎武(こえんぶ)、王夫之(おうふうし)とともに清初の三大思想家に数えられ、とくに史学に長じて浙東(せっとう)史学の祖と仰がれた。清末の変法運動に際して『明夷待訪録』が啓蒙(けいもう)に一役買ったことから、「中国のルソー」という異名もある。
[佐野公治 2016年3月18日]
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1610~95
明末清初の学者。浙江(せっこう)省余姚(よよう)の人。明の滅亡後復明を図り,その希望が絶たれると学問,著述に専念し,一生清に仕えなかった。経世実用の学を重んじ,『明夷待訪録』『宋元学案』『明儒学案』などを著し,清の学問に大きな影響を与えた。
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…対象とする領域は,経学を中心に,文字学,音韻学,歴史学,地理学,金石学などきわめて広範にわたっている。 清代の学問の開祖となったのは,経学の方面では顧炎武,史学の方面では黄宗羲である。彼らは,明王朝の滅亡という事態に直面して,強い実践への関心から,明代の学問の空疎なるを慨(なげ)いて実事求是の学問を追求していった。…
…いわば列伝風の思想史。原著は明末の黄宗羲(こうそうぎ)であるが,未完のうちに没したため息子の黄百家が続修,しかしなお完成せず,清の全祖望が引きつぎ,宗羲の玄孫黄稚圭(こうちけい)らの校訂をへて初めて完成した。この書を補った《宋元学案補遺》とともに,宋・元学術史研究の基本資料である。…
…中国,明末・清初の思想家,黄宗羲の著した明代哲学史。1676年(康熙15)ごろ稿成る。…
…中国,黄宗羲の政治評論書。明末社会の混乱,明・清の交替を経験した黄宗羲が,その原因理由を考察して,君主専制の否定,民本重民の視角から論陣を張った明末・清初政治評論集の白眉である。…
…陝西省厔(ちゆうちつ)(今の周至)県の人。若いとき,貧苦のなかで学問にはげみ,経史子集から仏老に至るまで読書し,のち江南各地の書院で教えてその名を広く知られ,孫奇逢,黄宗羲とともに三大儒と称せられた。朝廷から博学鴻詞(はくがくこうし)として招かれたが絶食して拒んだ。…
※「黄宗羲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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