黄宗羲(読み)コウソウギ(その他表記)Huáng Zōng xī

デジタル大辞泉 「黄宗羲」の意味・読み・例文・類語

こう‐そうぎ〔クワウ‐〕【黄宗羲】

[1610~1695]中国、明末・清初の思想家・歴史学者。余姚よよう浙江せっこう省)の人。あざな太沖たいちゅう。号、南雷。梨洲先生とよばれた。「明儒学案」を著して実証主義的な清朝史学の礎を築き、「明夷待訪録めいいたいほうろく」では為政者批判、進歩的な政治主張を展開した。

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精選版 日本国語大辞典 「黄宗羲」の意味・読み・例文・類語

こう‐そうぎクヮウ‥【黄宗羲】

  1. 中国、明末清初の学者。字(あざな)は太沖。号は梨洲など。王夫之、顧炎武とともに清初の三大師と称される。王陽明の実践的儒学を修め、はじめ反清抵抗運動に身を投じたが、のち史学に志す。考証を厳密にし、実証主義を強調した。著「明夷待訪録」「宋元学案」「明儒学案」「易学象数論」など。(一六一〇‐九五

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改訂新版 世界大百科事典 「黄宗羲」の意味・わかりやすい解説

黄宗羲 (こうそうぎ)
Huáng Zōng xī
生没年:1610-95

中国,明代末から清代初の学者,思想家。字は太沖,号は梨洲,南雷先生とも称せられる。浙江余姚県の生れ。彼は宦官魏忠賢の専権横暴を糾弾して獄死した東林党の黄尊素を父としていたので,幼少のときから強い政治意識をいだいていた。崇禎帝即位(1628)の後,父の名誉は回復されたが,刑部で審問中の魏忠賢一味の許顕純を鉄錐で刺し,同じく李実の賄賂を暴露するなど,宦官派の罪行をきびしく追求した。さらに,当時,宦官派の残党である阮大鋮が政界に自派勢力を拡張しようと画策していたのを阻止するため,復社の社員を含む南京の学生148名を結集して,〈南都防乱公掲〉を発表して指弾した。明王朝の滅亡(1644)の後,彼は一時,南京の福王のもとにいたが,清軍の進入のために故郷に帰り,魯王のもとにあって反清抵抗運動を続け,1649年(順治6),魯王の命で日本の長崎にきて援軍を求めたが失敗した。《日本乞師紀》《海外慟哭記》は,その記録である。

 明王朝復興の望みが絶たれると故郷で学問と著述に専念した。新しい清王朝には出仕しなかったが,康煕帝が明代史を編纂しようとしたときには,弟子の万斯同と子の黄百家を送り史館に入れて協力させた。彼の著述は,きわめて多いが,最も有名なのは,明代学術史である《明儒学案》62巻,宋・元学術史である《宋元学案》100巻(全祖望との共著)で,両書は宋代以後の学術思想を論ずる場合に必須のものである。また,《明夷待訪録(めいいたいほうろく)》1巻は,鋭い君主制批判と民本主義的内容のために,清末の改革運動のなかで再発見され,これによって黄宗羲は〈中国のルソー〉と称された。そのほかに漢代易学を再評価した《易学象数論》や明代の文章を集めた《明文海》《明文案》《明文授読》などがある。なお,彼の学問は劉宗周(号は念台)から出ていて,その慎独説とともに史学をも受けつぎ,浙東学派の開祖とされている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「黄宗羲」の意味・わかりやすい解説

黄宗羲
こうそうぎ
(1610―1695)

中国、清(しん)代初期の思想家、学者。字(あざな)は太沖(たいちゅう)、号は南雷、梨洲(りしゅう)。浙江(せっこう)省余姚(よよう)県の人。東林派官僚の子として生まれる。若いころ、殉難した父の名誉回復を求めて政治運動に投じ、清軍南下に際しては義勇軍を組織して抵抗し、援軍を求めて長崎に来航したともいわれる。清朝体制確立ののち著述に専念し、『明夷(めいい)待訪録』『明儒(みんじゅ)学案』『易学象数(しょうすう)論』などの名著を残した。思想はその師劉宗周(りゅうそうしゅう)を通じて陽明学の穏健な側面を継承し、観念論的な心学の横流を批判して、経世済民を志向する実証的学風を樹立した。顧炎武(こえんぶ)、王夫之(おうふうし)とともに清初の三大思想家に数えられ、とくに史学に長じて浙東(せっとう)史学の祖と仰がれた。清末の変法運動に際して『明夷待訪録』が啓蒙(けいもう)に一役買ったことから、「中国のルソー」という異名もある。

[佐野公治 2016年3月18日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黄宗羲」の意味・わかりやすい解説

黄宗羲
こうそうぎ
Huang Zong-xi

[生]万暦38(1610)
[没]康煕34(1695)
中国,明末,清初の思想家。余姚 (浙江省) の人。字は太冲。号は南雷,梨洲。明滅亡時は義勇軍を組織して清軍に抵抗,滅亡後の順治6 (1649) 年 (日本の慶安2) ,長崎に渡り援軍を請うたが果せなかった。帰国後,清朝の追捕の手を逃れ転々としたが,天下も安定し追及がゆるむと郷里に落ち着いて教育と著述に専念。康煕 17 (78) 年博学鴻儒に推挙されたが辞退し,明の遺老として終った。若くして陽明学者の劉宗周に師事し,客観的事実を重んじ,特に歴史に拠ることを主張した。顧炎武王夫之とともに清初三大儒と称される。主著『明夷待訪録』は,後世の王者が天下を治める参考に資するという形をとりつつ,封建的思想,制度を鋭く批判し,清末の革命家に大きな影響を与えた。そのほか,それぞれの時代の思想史,哲学史といえる『宋元学案』 (全祖望続修) ,『明儒学案』,日本での体験を記す『日本乞師記』など著書は多い。

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百科事典マイペディア 「黄宗羲」の意味・わかりやすい解説

黄宗羲【こうそうぎ】

中国,清初の学者。浙江の人。父尊素の獄死のあとを継ぎ,早くから反宦官(かんがん)の政治活動に加わり,復明運動に参加。1644年明が滅ぶと魯王に仕え反清の軍事活動を続け,援軍を求めて長崎に来たこともある。清朝に仕えず学問・著述に専念。しかし明史編纂(へんさん)には子の百家,門人万斯同を送った。学問的には王学末流の流弊を指摘,六経,歴史を中心とする実践的な事実に即した学問を主張し,浙東学派の祖とされる。《明夷待訪録》は天下を私する君主,これにおもねる官僚,政治的腐敗を暴露し,夜明けとともに明君を待望する著で,清末の改革運動のなかで再評価された。
→関連項目考証学

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旺文社世界史事典 三訂版 「黄宗羲」の解説

黄 宗羲
こうそうぎ

1610〜95
明末期〜清初期の考証学者
浙江 (せつこう) の人。字 (あざな) は太沖,梨洲と号す。郷里の子弟を集めて清軍の侵入を防ぎ,日本の長崎に来て華僑の援助を求めたりした。明の滅亡後は清に仕えず,学問に没頭し,考証学・清朝史学の祖となり,「中国のルソー」と呼ばれた。主著『明夷待訪録』『明儒学案』『宋元学案』。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「黄宗羲」の解説

黄宗羲(こうそうぎ)
Huang Zongxi

1610~95

明末清初の学者。浙江(せっこう)省余姚(よよう)の人。明の滅亡後復明を図り,その希望が絶たれると学問,著述に専念し,一生清に仕えなかった。経世実用の学を重んじ,『明夷待訪録』『宋元学案』『明儒学案』などを著し,清の学問に大きな影響を与えた。

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世界大百科事典(旧版)内の黄宗羲の言及

【考証学】より

…対象とする領域は,経学を中心に,文字学,音韻学,歴史学,地理学,金石学などきわめて広範にわたっている。 清代の学問の開祖となったのは,経学の方面では顧炎武,史学の方面では黄宗羲である。彼らは,明王朝の滅亡という事態に直面して,強い実践への関心から,明代の学問の空疎なるを慨(なげ)いて実事求是の学問を追求していった。…

【宋元学案】より

…いわば列伝風の思想史。原著は明末の黄宗羲(こうそうぎ)であるが,未完のうちに没したため息子の黄百家が続修,しかしなお完成せず,清の全祖望が引きつぎ,宗羲の玄孫黄稚圭(こうちけい)らの校訂をへて初めて完成した。この書を補った《宋元学案補遺》とともに,宋・元学術史研究の基本資料である。…

【明儒学案】より

…中国,明末・清初の思想家,黄宗羲の著した明代哲学史。1676年(康熙15)ごろ稿成る。…

【明夷待訪録】より

…中国,黄宗羲の政治評論書。明末社会の混乱,明・清の交替を経験した黄宗羲が,その原因理由を考察して,君主専制の否定,民本重民の視角から論陣を張った明末・清初政治評論集の白眉である。…

【李顒】より

…陝西省厔(ちゆうちつ)(今の周至)県の人。若いとき,貧苦のなかで学問にはげみ,経史子集から仏老に至るまで読書し,のち江南各地の書院で教えてその名を広く知られ,孫奇逢,黄宗羲とともに三大儒と称せられた。朝廷から博学鴻詞(はくがくこうし)として招かれたが絶食して拒んだ。…

※「黄宗羲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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