日本歴史地名大系 「徳市村」の解説
徳市村
とくいちむら
嘉禎二年(一二三六)九月二七日の備後国大田庄山中四郷在家目録(高野山文書)によると、吉田には地頭・公文・田所・惣追捕使・専当などの在家五一宇があり、四郷のうち最も規模が大きい。嘉元四年(一三〇六)九月七日の関東下知状(同文書)によると、大田庄雑掌頼覚と山中郷地頭富部信連との間に相論が起こり、吉田村三一坪すなわち
徳市村
とくいちむら
徳市村
とくいちむら
- 福井県:敦賀市
- 徳市村
享保一二年(一七二七)には庄屋五郎大夫、睦月銀一匁五分、入草銀二七匁、新出来米二石余、夫役六分、夫米四俵三斗余、馬足一二疋、外高一四石余、牡馬七、家数三一、うち高持一七・無高一三・寺一、人数一四六、ほか借家五人(敦賀郷方覚書)。さらに同書は、無高の村として「三之丸」をあげ、家数二一、うち高持一・無高一八・津内村高持一、人数六七、ほか借家一〇人、牡馬二と記すが、庄屋も置かれず小物成の負担もない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報