改訂新版 世界大百科事典 「徳興里古墳」の意味・わかりやすい解説
徳興里古墳 (とっこうりこふん)
Tǒkhǔngni-kobun
朝鮮民主主義人民共和国,平安南道大安市徳興里にある壁画墳墓。1976年12月に発掘調査され,被葬者や年代がわかる希有な墳墓として脚光を浴びた。封土は原形をとどめていないが,内部に南向きの横穴式石室が築かれた。羨道,前室,甬道,玄室の順序に連接し,全長8.2mを測る。石室は,加工した石材で積み上げられ,表面にはしっくいが塗られていた。墓室のほぼ全面に描かれた壁画により高句麗の文化や風習,さらに政治の一端に触れることができる。羨道では槍を取った門守などが目につく。前室には14行600余字の墨書銘があり,被葬者の名が鎮で,築造が永楽18年(409)であることを示す。また前室には,被葬者の肖像画,被葬者である幽州刺史に向かって伺侯する13郡の太守図,そして,被葬者一行の行列図などがあって,いわば被葬者の公的な場面を描く。玄室の壁画は,被葬者の私的な生活図が中心となっている。この墳墓は,すでに盗掘を受けていて,遺物は出土しなかった。
執筆者:西谷 正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報