日本歴史地名大系 「志楽庄」の解説
志楽庄
しらくのしよう
若狭・丹後の国境付近に源を発して西流し、舞鶴湾に注ぐ三本の河川、北から
荘名は、平治元年(一一五九)閏五月付の宝荘厳院領荘園注文(東寺百合文書)に
とみえるのが早く、
以後鎌倉期には「吾妻鏡」の建久六年(一一九五)八月六日条に次のような記事がある。
これによれば、志楽庄は
また承久元年(一二一九)九月二三日付の安永吉永田地寄進状写(金剛院文書)によれば、志楽庄安永名内の田地(在所吉津坂村。現字吉坂に比定される)が、吉永から
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報