日本歴史地名大系 「阿良須神社」の解説 阿良須神社あらすじんじや 京都府:舞鶴市志楽地区小倉村阿良須神社[現在地名]舞鶴市字小倉小倉(おぐら)の北端、志楽川に注ぐ小倉川の谷の出口、若狭街道に面した山を背にして鎮座する。少し離れた所にもと社地があった。境内には老樹が繁茂し、眼下に志楽谷平野が東西に広がる。「延喜式」神名帳に載せる「阿良須(アラスノ)神社」に比定される。中近世には、一宮(いちのみや)・一ノ宮大明神あるいは大森(おおもり)社と称した。祭神は豊受大神。一説には大宮売大明神・若宮売大明神(丹後旧事記)で、両神は丹波道主命が丹波郡周枳(すき)(現中郡大宮町)の大宮売神を勧請したと伝える。中世には志楽庄春日部(かすかべ)村の鎮守であり、近くの金剛(こんごう)院の鎮守社でもあったらしい。当社に中世文書が一〇余通所蔵されるが、ほとんどが「志楽庄一宮」関係のもので、最も古いものは、観応元年(一三五〇)三月二三日付の政所尭基による春日部村大森宮毎月晦日講田一段の宛行状である。 阿良須神社あらすじんじや 京都府:加佐郡大江町北有路村阿良須神社[現在地名]大江町字北有路 高畑河守街道北側の山麓に鎮座。「延喜式」神名帳にみえる阿良須神社に比定する説もあるが判然としない。祭神神吾田津姫命。旧村社。旧語集の北有路(きたありじ)村の項にはこの社名はみえず、十倉五社(とくらごしや)明神二社を記す。うち一社は小字五日市(いつかいち)にある十倉神社(祭神神吾田津姫命)と思われる。もう一社の十倉五社明神も同神を祀ったと類推され、現阿良須神社をさすと考えられる。二社の十倉五社明神のうち一社が北有路の氏神であった(旧語集)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by