忠類村(読み)ちゆうるいむら

日本歴史地名大系 「忠類村」の解説

忠類村
ちゆうるいむら

面積:一三七・五四平方キロ(境界未定)

昭和二四年(一九四九)八月、広尾ひろお大樹たいき(現大樹町)の北部が分離して成立した同郡の自治体。北海道の南部、十勝支庁管内南部に位置し、広尾郡北部中央を占める。北西河西かさい更別さらべつ村、北は中川なかがわ幕別まくべつ町・豊頃とよころ町、東から南は広尾郡大樹町に接する。中央を当縁とうべり川が南東へ流れる。東部と北部に標高二〇〇―三〇〇メートルの山林地帯があるのを除きおおむね平坦な農耕地で畑・牧野が三四パーセントを占める。南東端を国道三三六号(ナウマン国道)、西部を国道二三六号が縦断する。近世にはトカチ場所に属し、明治二年(一八六九)の国郡画定により十勝国当縁とうぶち郡に属した。同六年までに成立した同郡当縁とうぶち村の一部にあたる。同三九年四月からは広尾郡茂寄もより村、大正一五年(一九二六)六月からは同郡広尾村、昭和三年一〇月からは同郡大樹村に属し、同二四年八月同村から分離した。


忠類村
ちゆうるいむら

[現在地名]標津郡標津町字忠類・字古多糠こたぬか

明治初年(同二年八月から同六年の間)から大正一二年(一九二三)まで存続した目梨めなし郡の村。標津郡伊茶仁いちやに村の北にあり、東は根室海峡に面し、北西および西は知床しれとこ火山群に属する山並で北見国斜里しやり郡と境する。原野と山地は相半ばし、忠類川とその北方を古多糠川が東流して根室海峡に注ぐ。近世はネモロ場所のうち。明治初年、チウルイコタヌカの地を包含して村が成立。明治八年(一八七五)村名はチウルイから忠類と漢字表記に改められた(開拓使根室支庁布達全書)。「根室国地誌提要」には忠留意村とあり、明治六年の戸口本籍は平民一戸・四人(男三・女一)、アイヌ六戸・三〇人(男一四・女一六)寄留は平民一戸・一四人(男一三・女一)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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