日本歴史地名大系 「悪田村」の解説 悪田村あくたむら 新潟県:柏崎市悪田村[現在地名]柏崎市桜木(さくらぎ)町・安政(あんせい)町・北園(きたぞの)町・栄(さかえ)町・大和(やまと)町・春日(かすが)一丁目・柳田(やなぎだ)町鯖石(さばいし)川の河口南西の村。西は日本海に面し、四季を通じて強風が吹荒れ、川筋の変化や砂害を受けている。北陸道の渡場として名高く、三階節に「悪田の渡しがなきゃよかろ」と歌われた難所である。天正一四年(一五八六)八月日の悪田渡守文書(刈羽郡旧蹟志)には、奉行中から「あくた」に宛て、定として「当渡ふなちん五文ツヽ、いたミきれせん之外きらいなくこれをとるへし 但水ひ(水干)、かちこし(徒越し)のときハやく不可有之」とあって、上杉景勝が船賃五文、歩行者無料と定めている。 悪田村あくだむら 岐阜県:本巣郡根尾村悪田村[現在地名]根尾村松田(まつだ)東小鹿(ひがしおじか)村の北東に位置し、悪田谷(あくだたに)川が南東流して根尾東谷(ねおひがしたに)川に合流する付近の沿岸に集落がある。村名は北陸の悪田村から逃れてきた人が住みついたからといい、悪田谷の地名も残る。東谷川を臨む斜面大野河戸(おおのごうど)からは縄文時代の遺物が発見され、また平安時代の土器片が広く採集されている。越前と美濃を結ぶ通路であった。近世には宿場となった。正保郷帳によれば田二石余・畑六三石余・紙桑木高一二石余・山年貢七石余。貞享二年(一六八五)の大垣藩の内検により一三八石余となった(大垣藩村々高帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報