日本歴史地名大系 「慈恵大師御」の解説 慈恵大師御じえだいしみみよう 滋賀県:大津市北部地域延暦寺横川香芳谷慈恵大師御[現在地名]大津市坂本本町四季(しき)講堂の北、香芳(かぼう)尾にある良源の廟所。東塔東谷の天梯権現(てんだいごんげん)峰・横川飯室(よかわいいむろ)谷の慈忍和尚霊廟とともに比叡山三大魔所の一つに数えられる。浄土院にある伝教大師の御廟を「ごびょう」とし、当廟を「みみょう」と読み分けている。良源廟は天禄二年(九七一)五月三日の遺告(京都廬山寺蔵)のなかで自ら示した葬送事により、永観三年(九八五)一月三日の遷化後まもなく造立された。葬送事は墓地を北方勝地に点定すべきこと、棺を生前に作るべきこと、命終三日以内に葬送すべきこと、素服縄帯すべきこと、入棺所や荼毘所および拾骨所の配役のことなど、廟の石造卒都婆の建立も含め詳細に定めている。これに基づく卒都婆は現存し、塔身が八角形の多面石幢で、幢の頂上に饅頭形の石を重ねて笠を宝珠としている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by