改訂新版 世界大百科事典 「教員赤化事件」の意味・わかりやすい解説
教員赤化事件 (きょういんせっかじけん)
1929年から33年にかけておこった共産主義運動に関係した小・中学校教員への弾圧事件。プロレタリア文化運動や国際的教育労働者運動の影響をうけた教員によって1929年10月,関東小学校教員連盟が結成されたが,30年1月の弾圧で壊滅した。それらの教訓から,同年8月非公然に全国的組織として日本教育労働者組合(教労)準備会が結成され,11月国定教科書反対,プロレタリア教育の建設,教員の生活擁護などの方針をかかげて創立大会が非公然にもたれ,日本労働組合全国協議会(全協)支持も決められた(のち,教労は全協一般使用人組合教育労働部となる)。30年8月,教労と一体となって合法的に研究・宣伝・啓蒙活動をおこなう機関として新興教育研究所(新教,のち新興教育同盟と改称)が創立された。教労や新教の活動および組織は全国に広がり,これに対する弾圧は1930年ごろから始まり,33年までに41道府県,98件,検挙された教員七百数十名に及んだ。とくに33年2月4日以降,長野県では66校(うち中学4),230名(うち非教員22)の検挙,治安維持法違反による起訴29名という大弾圧がおこなわれ,〈教員赤化事件〉としてセンセーショナルに報道された(〈二・四事件〉)。以後,組織的な左翼教育運動は事実上解体したが,権力は〈教員赤化〉の取締りに乗じて,多少とも批判的,自由主義的思想をもつ教員を締め出し,軍国主義教育の地固めをしていった。
執筆者:広川 禎秀
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報