敦道親王(読み)あつみちしんのう

改訂新版 世界大百科事典 「敦道親王」の意味・わかりやすい解説

敦道親王 (あつみちしんのう)
生没年:981-1007(天元4-寛弘4)

平安中期の歌人冷泉天皇皇子。長じて大宰帥(だざいのそち)(遥任)となり,帥宮(そちのみや)とも呼ばれた。生母超子(ちようし)(藤原兼家の娘)の美貌をうけて容姿端麗であったうえに,文才に恵まれ,和歌のほか漢詩をもよくした。和泉式部との恋愛事件が衆人の関心を呼んだことは,《栄華(花)物語》や《大鏡》に詳しい。《和泉式部日記》中の和泉との贈答歌によって,その歌才のほどがうかがえる。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「敦道親王」の解説

敦道親王 あつみちしんのう

981-1007 平安時代中期,冷泉(れいぜい)天皇の第4皇子。
天元4年生まれ。母は藤原兼家(かねいえ)の娘超子(ちょうし)。大宰帥(だざいのそち)となり,帥宮(そちのみや)とよばれた。容姿端麗で和歌にすぐれ,恋仲であった和泉式部(いずみしきぶ)との贈答歌が「和泉式部日記」におさめられている。寛弘(かんこう)4年10月2日死去。27歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の敦道親王の言及

【和泉式部】より

…しかし,親王は1002年(長保4),26歳で亡くなった。一周忌も近い翌年春,為尊親王の弟帥宮(そちのみや)敦道(あつみち)親王から求愛された。この兄弟は,母の女御藤原超子の死後,昌子内親王のもとで成長したから,式部に近づく機会は多かったと想像される。…

【和泉式部日記】より

…平安中期の日記。別名《和泉式部物語》。冷泉天皇の皇子帥宮(そちのみや)(敦道(あつみち)親王)との恋愛の顚末を,贈答歌を中心にしるしたもので,歌物語の一面をもつ。1003(長保5年)4月から翌年1月までの10ヵ月間の記事がその内容である。他作説(例えば藤原俊成説)もあるが,家集との関係および日記本文からみて,自作とすべきであろう。執筆は,07年(寛弘4)の帥宮の死以後1年の服喪期間に思い立ったものと思われる。…

※「敦道親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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