日本大百科全書(ニッポニカ) 「文化学院」の意味・わかりやすい解説
文化学院
ぶんかがくいん
私立。芸術家西村伊作(いさく)によって1921年(大正10)に創設され、各種学校として発足。創立とともにできた四年制の中学部に続いて、1925年から大学部が設置された。教授陣には著名な学者、芸術家を迎え、職業的教師によらない学術芸術教育を目ざした。その顔ぶれは、ノエル・ヌエット、菊池寛(かん)、川端康成(やすなり)、横光利一(よこみつりいち)、小林秀雄(ひでお)、伊藤熹朔(きさく)など多彩であった。第二次世界大戦中は校長西村伊作が反戦と不敬罪のかどで検挙され閉鎖を命じられたが、戦後1946年(昭和21)再開、1976年専修学校に認可された。2010年(平成22)時点で、高等学校レベルの教育を行う3年間の高等課程(総合芸術科)、2年間の専門課程(放送・映画学科、総合芸術学科)、社会人を対象とした生涯教育科からなる。国の教育方針や行政に拘束されない独自の教育理念と自由を尊重し、一般の大学・短大制度とは一線を画しつつ、高度な水準の文化・芸術の高等教育を行うユニークな学校として発展している。所在地は東京都千代田区神田駿河台(かんだするがだい)2-5。1997年(平成9)には文化学院創立当時の校舎を再現したルヴァン美術館(長野県軽井沢)が開館した。
[喜多村和之]
『文化学院史編纂室編『愛と叛逆――文化学院の五十年』(1971・文化学院出版部)』▽『加藤百合著『大正の夢の設計家――西村伊作と文化学院』(1990・朝日新聞社)』▽『山崎博久著『私の文化学院日記――1950年代の神田駿河台』(1992・原書房)』▽『金窪キミ著『日本橋魚河岸と文化学院の思い出』(1994・日本図書刊行会)』▽『上笙一郎著『文化学院児童文学史稿』(2000・社会思想社)』