日本橋魚河岸
にほんばしうおがし
日本橋と江戸橋間の日本橋川北岸一帯、本船町・本小田原町・長浜町・安針町を中心とする日本橋魚市の町。江戸時代初期から大正一二年(一九二三)の関東大震災まで江戸・東京の鮮魚干魚需要を賄う魚商が集積していた。天正一八年(一五九〇)徳川氏関東入部の際、摂津国西成郡佃村(現大阪市西淀川区)の名主森孫右衛門が佃村・大和田村(現同上)の漁民三〇余名を率いて江戸へ移住、幕府の鮮魚御用を命じられて江戸内海の漁業権を得、納入魚の残余を市中で商った。孫右衛門は以前から伏見城(現京都市伏見区)の徳川家康への魚・青物御用、大坂冬の陣・同夏の陣では海辺偵察や兵站を勤めるなど徳川氏とは関係の深い漁民で、移住後は鉄砲洲の東の小島(佃島となる)を借用して漁労の根拠地とした。江戸の町が繁華となるにつれて市中の魚需要は増大し、慶長一五年(一六一〇)孫右衛門の長男九右衛門は日本橋本小田原町と本船町の河岸を拝領して魚店を開き、以後一族も続いて出店して魚市場の形成が始まったという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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