教育家。和歌山県新宮に生まれる。大山林地主の息子として育ち,その財力を生かして美術,建築,陶芸などを学び,国際感覚を身につけた。長女の小学校卒業に際し,その個性を伸ばしうる自由な学校を求め,与謝野寛・晶子,石井柏亭,河崎なつらの協力を得て,みずから出資し,1921年東京駿河台に文化学院を創設した。〈日本人として未来の文化的生活を営む素養を与える〉ことを目的に掲げ,また校長として,個性の尊重,男女の平等をめざす自由主義的教育を実践した。戦時下,その教育思想が危険視され,43年不敬罪で検挙され,同9月には学院も閉鎖された。しかし第2次大戦後46年に学院を復興,文学,建築,美術などの個性的な教育で知られている(1976年に専修学校の認可を得る)。自伝に《我に益あり》(1960)がある。
執筆者:中野 光
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
1884.9.6~1963.2.11
明治~昭和期の教育家。和歌山県出身。広島市の私立明道中学卒。平民社運動に参加。1921年(大正10)娘の教育のため東京駿河台に文化学院を創設。与謝野晶子(あきこ)ら文化人を招き,文部省令にしばられない自由な教育を実践する。23年には息子のために男女共学とした。教育方針が当局の忌諱にふれ,43年(昭和18)不敬罪で起訴,同校も一時強制閉鎖された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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