20世紀日本人名事典 「西村伊作」の解説
西村 伊作
ニシムラ イサク
- 生年
- 明治17(1884)年9月6日
- 没年
- 昭和38(1963)年2月11日
- 出生地
- 奈良県北山村
- 出身地
- 和歌山県新宮市
- 学歴〔年〕
- 明道中(広島市)〔明治36年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 新宮市名誉市民
- 経歴
- 明治24年濃尾大地震で両親を失い、母方の吉野の大山林地主西村家に相続人として引き取られる。叔父大石誠之助の影響で平民社の活動に参加、45年大逆事件との関連で約1ケ月拘留された。和歌山県新宮で山林業を営んでいた時、そこを訪れる文化人と親しく交際、大正10年長女が高等女学校へ進学する時、わが子のために自由で芸術的な雰囲気にみちた理想の学校を創ることを決意。与謝野鉄幹・晶子夫妻、石井柏亭、河崎なつ等の協力により東京・駿河台に日本初の男女共学制学校、文化学院を創立、校長に就任。昭和16年長女石田アヤに校長を譲り、校主となる。学院には当時の一流の学者、芸術家を教師として招き、卒業生からは、三宅艶子、飯沢匡、青地晨など多数の文化人を輩出した。戦時下の18年不敬罪で検挙、学院も強制閉鎖されるが、21年再開した。著書に「教育の理想」「楽しき住家」「我子の教育」「生活を芸術として」「我に益あり―西村伊作自伝」など多数。平成10年遺族が西村記念館を新宮市に寄贈した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報