20世紀日本人名事典 「斎藤五百枝」の解説 斎藤 五百枝サイトウ イオエ 大正・昭和期の挿絵画家 生年明治14(1881)年12月21日 没年昭和41(1966)年11月6日 出生地千葉県長生郡一宮町 学歴〔年〕東京美術学校洋画科卒 主な受賞名〔年〕野間挿絵奨励賞(第1回)〔昭和16年〕 経歴白馬会洋画研究所に学び、岡田三郎助の指導を受けた。新聞のコマ絵などを描いていたが、大正3年講談社の雑誌「少年倶楽部」に抜擢され、創刊号から表紙絵を描く。昭和2年から吉川英治の「龍虎八天狗」と佐藤紅緑の「あゝ玉杯に花うけて」の挿絵を同時に受け持ち、一時代を画した。他の代表作に佐藤紅緑「紅顔美談」「少年讃歌」、大仏次郎「鞍馬天狗」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「斎藤五百枝」の意味・わかりやすい解説 斎藤五百枝さいとういおえ(1884―1966) 挿絵画家。千葉県長生(ちょうせい)郡一宮(いちのみや)町に生まれ、東京美術学校西洋画科を卒業。白馬会に属して油絵を描いていたが、1914年(大正3)に『少年倶楽部(くらぶ)』創刊号の表紙絵を描いたのを糸口として挿絵に転じた。一般娯楽雑誌・婦人雑誌にも筆をとったが、全盛期の『少年倶楽部』に寄せた挿絵でもっとも有名。ペン画もあるが、木炭を使って現代風俗を描くのが得意であった。また、一時期、染色美術に力を入れたこともある。[上笙一郎] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤五百枝」の解説 斎藤五百枝 さいとう-いおえ 1881-1966 大正-昭和時代の挿絵画家。明治14年12月21日生まれ。東京美術学校(現東京芸大)で岡田三郎助に師事。大正3年「少年倶楽部(クラブ)」の創刊とともに表紙絵を担当。また佐藤紅緑(こうろく),大仏(おさらぎ)次郎らの小説の挿絵で知られ,昭和16年第1回野間挿絵奨励賞。昭和41年11月6日死去。84歳。千葉県出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「斎藤五百枝」の解説 斎藤 五百枝 (さいとう いおえ) 生年月日:1881年12月21日大正時代;昭和時代の挿絵画家1966年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by