日本歴史地名大系 「新山館跡」の解説 新山館跡しんざんたてあと 岩手県:盛岡市東中野村新山館跡[現在地名]盛岡市高崩北上川と簗(やな)川との合流点北東に位置する小丘陵にあった館跡。神子田組(みこだくみ)町端の枡形から一町ほど南東に入った所にあった。幕末には日新(につしん)堂が開設された。「盛岡砂子」によると、天正年中(一五七三―九二)紫波(しわ)郡の斯波氏勢の高水寺らによって中野(なかの)館が攻められた際、「此加勢の為に戦利あらすして、日暮に及ひしかは、軍は明日とて新山寺計り、城の巽の方に残り五六丁隔て、小高き所を普請し、簗川を後ろに当て敵城を乾に見て、向陣を取れり。 新山館跡にいやまだてあと 宮城県:栗原郡若柳町若柳村新山館跡[現在地名]若柳町 川南若柳の町並の西北、迫(はさま)川右岸の低丘陵地にある中世の館跡。若柳城・新井山(にいやま)館とも記され、腰郭・段築ほか二重の空堀がうかがえる。「観蹟聞老志」では新山ノ古館とあり、宿場口にあって対岸の福岡(ふくおか)に橋が架かっていた。往古、源義家が東征した際の軍陣の地と伝え、また戦国期葛西氏領であった頃、しばしば大崎氏の兵と対峙するところとなり、当館には葛西氏家臣の千葉氏が居館したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by