新巻村(読み)あらまきむら

日本歴史地名大系 「新巻村」の解説

新巻村
あらまきむら

[現在地名]新治村新巻

羽場はば村の西、赤谷あかや川北岸に位置。新巻町ともいった。三国街道上の宿今宿いまじゆくを中心とする集落と台地上に開けた池の原いけのはらを中心とする集落からなる。池の原については道興の「廻国雑記」文明一八年(一四八六)七月条に、吹路ふくろを過ぎ「あひまた、湯の原、池の原などいふ所を分行侍けるに、みちのほとりのおばなをながめやりて」とあり、「すむ水はありともみえぬ池の原尾花さはきて高き波かな」と詠んでいる。

天正七年(一五七九)一二月二六日の武田家朱印状(北条文書)で「荒巻村同寄居」が小中彦兵衛尉に宛行われ、同八年五月四日の真田昌幸感状(中沢文書)では、さるきよう三ノ曲輪を焼払った戦功により、「荒牧之内十貫文之所」が中沢半右衛門に宛行われている。「加沢記」によると沼田顕泰は三歳の時須川すかわ箱崎はこざき城に居城、その頃池の原に諏訪大明神社を建立したという。

寛保二年(一七四二)の町明細帳下書(宮崎文書)および新巻町由来(新治村史料集)によると、当村は当初、布施ふせ師田もろだ・羽場・二枚原にまいばらの五ヵ村の親郷であり、天保九年(一八三八)問屋役出入済口証文(原沢文書)によれば、文禄年中(一五九二―九六)に羽場・布施(師田を含む)を分村したという。


新巻村
あらまきむら

[現在地名]一宮町新巻

かね川扇状地に位置し、北から西にかけて塩田しおだ村。天文二〇年(一五五一)二月五日の武田晴信判物(浅間神社文書)に「一宮郷荒間」とみえ、当地の諸役免除の二〇貫文の地を一宮浅間神社に寄進している。文禄三年(一五九四)六月一七日の浅野長継新知判物(浅野家文書)大石和おおいさわ筋「荒巻村」とみえる。

慶長古高帳に新巻とみえ高二二一石余、幕府領。ほかに天神領一石余。貞享二年采地簿(臆乗鈔)には旗本駒井・松田の二家がみえ、元禄郷帳でも同じ二家領。


新巻村
あらまきむら

[現在地名]東村新巻

奥田おくだ村の西にある南北に細長い村で、北は吾妻川、西は小泉こいずみ村・泉沢いずみさわ(現吾妻町)など。もと奥田村と一村で市牧村と称したが、文明年中(一四六九―八七)分村したという。万治二年(一六五九)の沼田藩領分書上写によると高一六八石余。寛文郷帳では田方四七石余・畑方一二〇石余。寛文三年(一六六三)の沼田藩領新検地控では七五八石余、貞享二年(一六八五)の沼田藩領再検地控では高四三〇石余。元禄郷帳では幕府領、宝永二年(一七〇五)二六〇石余が旗本小栗領、一七〇石余が幕府領となり(「植栗村年代記」関文書)、幕府領分は上里見藩領などの時代を経て(明和二年「領知村高書上」松浦文書)、近世後期には旗本小栗領二六〇石余・家数五五、同榊原領一七〇石余・家数三一(御改革組合村高帳)


新巻村
しんまきむら

[現在地名]近江八幡市新巻町

浄土寺じようどじ村の南東、雪野ゆきの山の西麓に位置する。村の西側沿いに日野川が北流し、対岸ははやし(現蒲生郡竜王町)、東は雪野山を隔てて中羽田なかはねだ(現八日市市)。古くはアラマキともよみ(「輿地志略」・元禄郷帳など)、荒巻・荒牧・新牧・在牧とも記した。地名は荒牧とよぶ牧があったことに由来するという。正長元年(一四二八)一二月一三日の荒牧諸散在年貢引付帳(左右神社文書)によれば、荒牧には久時名・国久名・得楽名・公文名などの名があり、林村の左衛門、しよう(現竜王町)の道心、信濃しなの(現同上)衛門次郎・倉橋部殿などが年貢納入を請負い、年貢総高は一六三石余、引高四五石余、納分七四石余で、四三石が未進。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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