新村猛(読み)しんむらたけし

百科事典マイペディア 「新村猛」の意味・わかりやすい解説

新村猛【しんむらたけし】

フランス文学者・言語学者。東京都出身。父は言語学者の新村出(いずる)。京都帝国大学(現,京都大学)文学部卒業。同志社大学予科の教授だった1937年に,雑誌《世界文化》にヨーロッパの反ファシズム人民戦線運動を紹介して治安維持法違反に問われ,1年10ヵ月の間投獄された。第2次世界大戦後,1946年に設立された京都人文学園の初代園長となり,1949年には名古屋大学教授となった。この間,1948年に設立された部落問題研究所の初代所長を務めている。名古屋大学名誉教授。ロマン・ロランディドロなどの研究に打ち込む一方,平和運動などにも積極的に参加した。また,父が編纂(へんさん)を進めた国語辞書《辞苑(じえん)》の増訂作業を1940年から手伝い,1955年には出版元を岩波書店に替え,書名を《広辞苑》として第1版を刊行。父の死後,その編集責任者を受け継ぎ,1991年には第4版を刊行した。著書は《国際反ファシズム文化運動:フランス篇》《フランス文学研究序説》《「広辞苑」物語》など。

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20世紀日本人名事典 「新村猛」の解説

新村 猛
シンムラ タケシ

昭和・平成期のフランス文学者,平和運動家 名古屋大学名誉教授。



生年
明治38(1905)年8月2日

没年
平成4(1992)年10月31日

出身地
東京

学歴〔年〕
京都帝国大学文学部仏文科〔昭和5年〕卒,京都帝国大学大学院〔昭和10年〕修了

主な受賞名〔年〕
勲三等旭日中綬章〔昭和50年〕

経歴
国語学者・新村出の次男。同志社大予科教授、京都帝大文学部講師となり、昭和10年「世界文化」を創刊、ヨーロッパの反ファシズム運動の紹介に努める。12年に治安維持法違反容疑で検挙され、終戦まで執筆禁止の処分。戦後、同志社大に復帰、24年から44年まで名古屋大学教授としてフランス文学を講じる。49〜53年橘女子大学長。この間、京都人文学園校長、民科幹事、愛知県平和委員会委員長などを務め、民主・平和運動に指導的役割を果たす。46年には愛知県知事選に革新系候補として善戦したが現職知事に敗れる。また、父亡き後、「広辞苑」の改訂作業の中心的存在として広く知られている。著書に「フランス文学研究序説」「ロマン・ロラン」「『広辞苑』物語―辞典権威の背景」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「新村猛」の解説

新村猛 しんむら-たけし

1905-1992 昭和-平成時代のフランス文学者。
明治38年8月2日生まれ。新村出(いずる)の次男。雑誌「世界文化」でヨーロッパの反ファシズム文化運動を紹介し,昭和12年治安維持法違反で検挙される。戦後,同志社大,名大の教授,橘女子大学長などをつとめ,民主・平和運動にもつくす。父とともに「広辞苑」の編集にかかわり,父の死後その改訂につとめた。平成4年10月31日死去。87歳。東京出身。京都帝大卒。著作に「フランス文学研究序説」など。

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367日誕生日大事典 「新村猛」の解説

新村 猛 (しんむら たけし)

生年月日:1905年8月2日
昭和時代;平成時代のフランス文学者;平和運動家。名古屋大学教授
1992年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の新村猛の言及

【鎌倉アカデミア】より

…しかし,同じころに市民大学,自由大学を構想した京都人文学園(1946年6月設立。新村猛園長をはじめ,久野収,鶴見俊輔らを講師とし,男女共学,自由聴講制,試験制度なし,卒業免状なしという徹底した方針をとった。50年春廃校)とともに,敗戦直後の混乱期にユニークな役割を担った在野の学校であり,学問,芸術の分野に多くの人材を送り出した。…

※「新村猛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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