新村出(読み)シンムライズル

デジタル大辞泉 「新村出」の意味・読み・例文・類語

しんむら‐いずる〔‐いづる〕【新村出】

[1876~1967]言語学者・国語学者。山口の生まれ。京大教授。ヨーロッパ言語理論の導入に努め、日本の言語学・国語学の確立に尽力。特に、国語史や語源、外来語南蛮文化に関する考証など多方面にわたる業績をあげた。文化勲章受章。著「東方言語史叢考」「東亜語源志」、編「広辞苑」など。

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精選版 日本国語大辞典 「新村出」の意味・読み・例文・類語

しんむら‐いずる【新村出】

  1. 言語学者、随筆家文博山口県出身。東京帝国大学博言学科卒。京都帝国大学教授、同大名誉教授、学士院会員。国語学および外来語研究、南蛮キリシタン関係の考証の業績が大きい。辞書「辞苑」「言林」「広辞苑」の編者。主著「南蛮更紗」「東方言語史叢考」「東亜語源志」など。昭和三一年(一九五六)文化勲章受章。明治九~昭和四二年(一八七六‐一九六七

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20世紀日本人名事典 「新村出」の解説

新村 出
シンムラ イズル

明治〜昭和期の言語学者,国語学者,文化史学者,随筆家 京都帝国大学名誉教授。



生年
明治9年10月4日(1876年)

没年
昭和42(1967)年8月17日

出生地
山口県吉敷郡山口町(現・山口市)

旧姓(旧名)
関口

別名
号=重山

学歴〔年〕
東京帝大文科大学博言学科〔明治32年〕卒,東京帝大大学院国語学専攻〔明治37年〕退学

学位〔年〕
文学博士(京都帝大)〔明治43年〕

主な受賞名〔年〕
文化勲章〔昭和31年〕

経歴
東京帝大文科大学助手、講師を経て、明治35年東京高師教授、37年東京帝大助教授を歴任し、40年欧州に留学。42年帰国して京都帝大文科大学教授に就任、昭和11年に退官するまで、言語学を担当した。13年日本言語学会を創立、会長。西欧の言語学理論を取り入れ、日本の言語学・国語学の基礎を築いた。また、キリシタン文献を用いて中世日本語を研究し、語源研究に功績があった。「南蛮記」「日本吉利支丹文化史」「東方言語史叢考」など著書は70冊以上に及び、「新村出選集」(全4巻 甲鳥書林 養徳社)、「新村出全集」(全15巻 筑摩書房)がある。また「辞苑」「言林」「広辞苑」などの編纂に携った。31年文化勲章受章。

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改訂新版 世界大百科事典 「新村出」の意味・わかりやすい解説

新村出 (しんむらいずる)
生没年:1876-1967(明治9-昭和42)

言語学者。山口市生れ。1899年東京帝国大学文科大学博言学科を卒業,東京高等師範学校教授(のち東大助教授兼任)を経て京都帝大教授となり,1936年定年退官に及ぶまで,同大学の言語学講座を担当すること28年におよんだ。その間,文学博士の称号を得(1910),帝国学士院の会員に推された(1928)。退官後は京大名誉教授。56年文化勲章を受けた。国語審議会,国宝保存会など,種々の委員会の委員や会長などをつとめ,学術振興に大きな貢献をした。日本における言語学の創業の功が上田万年に帰せられるとすれば,新村は,その設計に参与して上田を助けたばかりでなく,彼自身,たゆまぬ構築の努力をつづけていったものと評しうる。その業績は,その内容において学問的価値を有するばかりでなく,流麗な筆によって精彩を放っている。その研究範囲はひろく,ことに,語学資料の研究に端を発したいわゆる南蛮研究では,独自の地位を占めている。彼は言語学者であるが,その本領は,むしろ文化史上の問題の考証を得意とする歴史家たるにある。国語辞書の編集を通じて社会に致した功績もまた没しえない。《南蛮記》《南蛮更紗(さらさ)》《日本吉利支丹研究余録》《東方言語史叢考》その他の著書のほか,《広辞苑》(1955)など多くの国語辞典の編さんがある。全集15巻(1971-73)がある。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「新村出」の意味・わかりやすい解説

新村出
しんむらいずる
(1876―1967)

言語学者、文化史家。山口市生まれ。もと関口氏。東京帝国大学博言学科(後の言語学科)卒業。東京高等師範学校(現、筑波(つくば)大学)教授、東京帝国大学助教授として国語学を講じたのちヨーロッパに留学し、帰国後は京都帝国大学教授として長年にわたり言語学講座を担当。ヨーロッパの言語学を踏まえたうえで内外の資料を博捜して、日本語音韻史や近隣の諸言語との比較研究に成果をあげ、それらは『東方言語史叢考(そうこう)』(1925)にまとめられている。また、日本語の語源の考証や外来語の研究にも力を入れ、『東亜語源志』(1930)がこの方面の主著であるが、ほかにも語源に関する随筆風の著作が多数ある。また、キリシタンの残した文献を国語史の資料として利用することに端を発して、広く南蛮文化の研究を行い、『南蛮記』『南蛮更紗(さらさ)』など、文芸的香りの高い考証的随筆集を著した。また典籍に関する著作も多数ある。きわめて多方面にわたる学識をもち、学術・文化に関する諸団体の委員や会長を務め、1928年(昭和3)には学士院会員に選ばれた。また、各種の国語辞典の編者となったが、『辞苑(じえん)』(1935)の増補版である『広辞苑』(1955)は百科事典を兼ねる便利なものとして広く用いられている。おもな著作はすべて全集に収められ、さらに東京帝国大学における講義の筆録が『新村出国語学概説』(1974)として刊行された。1956年(昭和31)に文化勲章を受章。

[安田尚道 2018年10月19日]

『『新村出全集』15巻・索引1巻(1971~1983・筑摩書房)』

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百科事典マイペディア 「新村出」の意味・わかりやすい解説

新村出【しんむらいずる】

言語学者。山口県生れ。東大博言学科卒。長く京大教授をつとめた。上田万年の後継者として国語学の構築に貢献。西洋言語学説を紹介,国語史,またキリシタン版などの南蛮研究等,その業績は広く大きい。1956年文化勲章。主著は《東方言語史叢考》《東亜語源志》《南蛮更紗(さらさ)》《南蛮広記》等のほか,《広辞苑》など多くの国語辞典を編纂(へんさん)。全集15巻がある。
→関連項目国語学新村猛

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「新村出」の意味・わかりやすい解説

新村出
しんむらいずる

[生]1876.10.4. 山口
[没]1967.8.17. 京都
言語学者。号,重山。 1899年東京大学言語学科卒業。大学院に進み,東大助教授を経て,ヨーロッパ留学後,1909年京都大学言語学教授。 10年文学博士。京大名誉教授。上田万年の弟子で,西欧言語学を導入して国語学の基礎を築いた。国語の史的研究,東国方言研究,近隣諸語と国語との比較考察などの論文を集めた『東方言語史叢考』 (1927) ,語源研究『東亜語源志』 (30) などのほか,南蛮文化論考『南蛮更紗』 (24) ,『南蛮広記』 (25) ,『日本吉利支丹文化史』 (40) などの著がある。また,これらの研究の成果を集め国語辞書『広辞苑』 (55) を編纂した。文人でもあり,『琅 玕記 (ろうかんき) 』 (30) など多くの随筆も残した。『新村出全集』 (15巻,71~73) がある。 56年文化勲章受章。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「新村出」の解説

新村出 しんむら-いずる

1876-1967 明治-昭和時代の言語学者。
明治9年10月4日生まれ。関口隆吉(たかよし)の次男。新村家の養子。明治42年京都帝大教授。上田万年(かずとし)とともに西洋言語学の理論を移入し,日本の言語学・国語学の基礎をきずく。キリシタン文献の考証,語源の研究でも業績をのこし,「広辞苑」の編集で知られた。昭和31年文化勲章。昭和42年8月17日死去。90歳。山口県出身。東京帝大卒。号は重山。著作に「言語学概論」「南蛮記」など。

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367日誕生日大事典 「新村出」の解説

新村 出 (しんむら いずる)

生年月日:1876年10月4日
明治時代-昭和時代の言語学者;国語学者;文化史学者;随筆家
1967年没

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