新港(読み)しんみなと

日本歴史地名大系 「新港」の解説

新港
しんみなと

[現在地名]岩国市新港町

古くは麻里布湊まりふみなととよばれた地で、港が明治以降に新港と称され、それに伴って付近の地も新港と総称された。

開港は文化八年(一八一一)。それよりさき文化元年に岩国藩士樋口祥左衛門は「節倹略」を著し、藩政の改革ことに財政の改革案を述べているが、その中で国産増長を説き、「交易運漕の便利を考るは、また経済の一術なれば、百工を来し交易を通ずる手立なくしては富国の功は成就仕らず」とし、さらに「穴の口は波戸を附候へば入津の湊によろしく候へば、浦ケ浜辺は問屋を立て交易運漕の便相備へ」と具体案を示した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報