日本歴史地名大系 「新牟田村」の解説 新牟田村しんむたむら 熊本県:八代郡千丁町新牟田村[現在地名]千丁町新牟田吉王丸(よしおうまる)村の西方を東南から西北に緩流する大鞘(おざや)川を挟むようにある。島(しま)貝塚から須恵器・土師器などが出土。肥後豊後検地諸帳目録(県立図書館蔵)の慶長一八年(一六一三)の検地帳に村名がみえる。「藤公遺業記」によれば当村の中心をなす新牟田新地八九町三反九畝余は同一三年加藤清正による築造。慶長年中までは八代地方の人口は少なく、そのため同新地には玉名(たまな)郡より入植し、出身村名をとって高瀬(たかせ)・小代(しようだい)・折地(おりち)・中間(なかま)などと呼称されたという。「国誌」は加藤忠広によって干拓され、宇土(うと)・八代・玉名三郡から百姓が入植したと伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報