1915年9月,売文社から堺利彦によって創刊された社会主義啓蒙雑誌。月刊。堺は《へちまの花》(1914年1月創刊)を一歩進めて,社会主義運動の〈小さき旗上げ〉を宣言した。それは〈鬨(とき)を作つて勇ましく奮ひたつと云ふ程の旗上では勿論ないが,兎にかく是でも禿(ち)びた万年筆の先に掲げた,小さな紙旗の旗上には相違ありません〉と,〈冬の時代〉から一歩でも前進しようとする姿勢の表れであった。17年8月堺の個人経営から荒畑寒村,吉川守圀,高畠素之,山崎今朝弥,山川均,渡辺政太郎と堺の共同経営となり,18年半ばごろから高畠,北原竜雄らの国家社会主義派の影響が強くなった。19年2月号で遠藤友四郎が〈君主社会主義〉の主張を掲げたことから堺派と対立し,同年5月本誌は再び堺の個人経営に移り,マルクス主義を旗印として闘うことが宣言された。20年2月より《新社会評論》と改題,さらに同年9月《社会主義》と改題されて,12月に成立した日本社会主義同盟の機関誌となった。同盟の結社禁止,アナ・ボルの対立の激化によって,21年9月号をもって終刊した。
執筆者:梅田 俊英
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
大正期の社会主義の雑誌。1915年(大正4)9月、文芸月刊誌『へちまの花』を廃刊した堺利彦(さかいとしひこ)が、後継誌として発刊した。「小さき旗上げ」(堺)として出発した同誌は、当初は啓蒙(けいもう)的解説記事が中心であったが、のちマルクス主義の唯一の機関誌的存在となった。1910年(明治43)の大逆事件以降の「冬の時代」から社会主義運動を復活させるうえで、一定の役割を果たしたが、発禁が相次いだ。17年7月からは堺のほかに、高畠素之(たかばたけもとゆき)、山川均(ひとし)、荒畑寒村(あらはたかんそん)など社会主義者が多く登場、文学者の執筆もあり、労働文学にも貢献した。その後、7巻1号より『新社会評論』、8巻1号より日本社会主義同盟(1920結成)の機関誌『社会主義』へと発展し、21年9月、9巻9号で発行が停止された。51冊が発行されたと推定されているが、現在まで存在が確認されたのは48冊である。
[山田敬男]
…14年1月《へちまの花》を発刊し,まず文芸娯楽物を中心に多少社会主義的色彩も加えたものを機関誌とした。翌年9月に改題して月刊誌《新社会》とし,巻頭に〈小さき旗上げ〉の言葉を掲げ,当時社会主義者の唯一の機関誌としてその思想の啓蒙を再開した。16年には5年ぶりに山川均も岡山から上京してその執筆陣に加わり,社会主義者のたまり場となった。…
※「新社会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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