文芸用語。明治前期に自由民権思想とナショナリズムの精神を普及させる目的で書かれた一群の傾向小説を指す。政治小説の最初の作品は1880年(明治13)に刊行された戸田欽堂(1850-90)の《民権演義 情海波瀾》である。この作品は,芸者魁屋(さきがけや)阿権をめぐる2人の客和国屋民次と国府正文の鞘当てという筋書きどおり,民権の確立(国会開設)を争点とする政府と人民の対立と調和が,アレゴリーの形式に託されている。しかし,こうした官民調和への期待は,明治14年の政変をきっかけに官民の対立が激化するにしたがって幻想にすぎなくなる。本格的な政治小説の季節がはじまるのは,自由党が82年に機関紙《自由新聞》とその大衆版《絵入自由新聞》を発刊,改進党が同年《郵便報知新聞》を機関紙としたことにはじまる。ほかに自由党系の《自由灯(じゆうのともしび)》,改進党系の《改進新聞》も,政治小説の有力な発表機関だった。これらの新聞は政治小説の啓蒙的役割を重視したが,その記者にも《自由新聞》の桜田百衛(ももえ)(1859-83),《絵入自由新聞》の小室案外堂(あんがいどう),《報知新聞》の矢野竜渓,尾崎咢堂,《改進新聞》の須藤南翠(なんすい)ら政治小説家として活躍した人が少なくない。大デュマの《一医師の追憶》を翻案した《仏国革命起源 西洋血潮小暴風(にしのうみちしおのさあらし)》(1882)で,原作にない熱烈な民権論を鼓吹したことで東洋のユゴーと呼ばれた桜田は83年に夭折するが,その志を継いで革命文学としての政治小説を精力的に執筆したのは宮崎夢柳(1855-89)である。夢柳の代表作は,ロシアのテロリストを描いた《虚無党実伝記 鬼啾々(きしゆうしゆう)》(1884-85)で,このころの群馬事件から秩父事件にいたる反政府闘争を背景に大きな反響を呼んだ。改進党系の政治小説でもっともすぐれた作品は,矢野竜渓の《斉武名士 経国美談》(1883-84)である。古代ギリシアのテーベの勃興に素材を求めたこの作品は一種の歴史小説で,前編ではテーベにおける民主政治の回復,後編ではスパルタを打ち破って国威を発揚するまでの経緯が巧みな話術で語られている。《経国美談》と並び称される政治小説の傑作,東海散士の《佳人之奇遇》(1885-97)は,スペインの幽蘭(ユーラン),アイルランドの紅蓮(コーレン)の2佳人を配した浪漫的な叙事詩ふうの作品であるが,作者が力をこめて語る帝国主義の犠牲に供された弱小民族の悲史と自由と独立を求めてやまない彼らの熱情は,同時代の青年から熱狂的に支持された。《佳人之奇遇》についであらわれた政治小説は,民権運動の敗北と国会開設への楽天的な期待を背景に,政治的主張はうすめられ,写実的な傾向が目だつようになった。この人情的,風俗的な傾向の作品としては,末広鉄腸の《政治小説 雪中梅》(1886)がよく知られている。政治小説は,古風な漢文調の文体や類型的な人物描写を脱しきれなかったために,自由民権運動が終息した90年ごろから急速にジャンルとしての活力を失っていく。しかし,政治や社会の問題と真っ向から取り組もうとした作者の真剣な姿勢は,これまで知識人から卑しめられてきた小説の地位を引きあげることになった。
執筆者:前田 愛
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明治10年代、政治思想の啓発を意図した文学。その消長は、1880年(明治13)の国会開設請願運動の盛り上がりから、89年の第1回帝国議会召集に至る自由民権運動の動向とほぼ一致する。もっとも早い作品は戸田欽堂(きんどう)の『民権演義情海波瀾(じょうかいはらん)』(1880)とみられているが、劇中劇である芝居の場面で、佐倉宗五郎が民権運動家の先駆者として賞揚されている点からみれば、小室案外堂(こむろあんがいどう)の『東洋民権百家伝』(1883)のような義民伝承発掘の仕事もこのジャンルのなかに入れることができよう。ただ、『民権演義情海波瀾』は近世戯作(げさく)の人情本の書き方を模倣し、和国屋民次なる青年実業家と芸妓(げいぎ)の阿権(おけん)が国府政文の世話で両国の会席において結ばれる(国民と民権が政府の助けで国会にて結ばれる)、という単純な寓意(ぐうい)小説でしかなかったが、政治小説の大半がこのような図式性を抜け出られなかった。
そのなかでも矢野龍渓(りゅうけい)の『斉武名士経国(けいこく)美談』(1883~84)は、古代ギリシアの史実に基づき、新しい人間像を描き出そうとした点で好評を博した。東海散士の『佳人之奇遇(かじんのきぐう)』(1885~87、88、91、97)は、西欧列強に侵略された民族の亡命革命家と日本の志士との国際的連帯を描き、漢文訓読体の荘重な文体と相まって、当時の青年に熱狂的に歓迎された。国際的危機感は対外的国権伸長の思想を生み、小宮山天香(てんこう)の『冒険企業聯島(れんとう)大王』(1887~88)という冒険的実業家を描いた作品や、矢野龍渓の『報知異聞浮城(うきしろ)物語』(1890)という、アジアの解放と新共和国樹立の理想のために日本国籍を捨てる冒険家たちを描いた作品が現れてきた。他方、国会開設が近づくにつれて、読者の目を現実に向けさせようとする末広鉄腸(てっちょう)の『政治小説雪中梅(せっちゅうばい)』(1886)や、その書き方もリアリズムを目ざし、現実認識にも優れている須藤南翠(なんすい)の『処世写真緑簑談(りょくさだん)』(1888)などが生まれた。
[亀井秀雄]
『『明治文学全集5・6 明治政治小説集(1)(2)』(1966、67・筑摩書房)』▽『柳田泉著『政治小説研究』上中下(1969・春秋社)』▽『松井幸子著『政治小説の論』(1979・桜楓社)』
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広義には小説の形式を借りて政治思想の宣伝・普及をめざす小説をさすが,近代文学史では,明治10年代半ばから20年代前半にかけておこった自由民権運動下に集中して現れた小説をさす。民権運動の勝利を寓意する1880年(明治13)に刊行された戸田欽堂の「(民権演義)情海波瀾」をその嚆矢として,矢野竜渓の「(斉武名士)経国美談」,宮崎夢柳(むりゅう)の「(虚無党実伝記)鬼啾啾(きしゅうしゅう)」,東海散士の「佳人之奇遇」,末広鉄腸の「(政治小説)雪中梅」とその続編「花間鶯(かかんおう)」などがその代表。作者の大半が実際の自由民権運動家で,その属する党派や執筆時期の政治情勢によってテーマに特色があるが,90年の国会開設以降は急激に衰退した。
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…一方,質の変化した滑稽は,十返舎一九,式亭三馬の活躍により滑稽本を独立させ,滑稽よりもさらに世俗になじみやすい涙を主体とする人情本が,為永春水一派を中心に,変化した読者層をつかんで,やがて明治期の近代小説に直結することになる。また明治初年の政治小説の流行などは,享保以降の談義本の成立とよく似た状況を呈しており,明治も20年代までは江戸戯作の影響を色濃くひきずっていたといえよう。【中野 三敏】。…
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