新飯田村(読み)にいだむら

日本歴史地名大系 「新飯田村」の解説

新飯田村
にいだむら

[現在地名]白根市新飯田

白根郷の南端、信濃川となかくち川の分岐点に位置する。慶長三年(一五九八)頃の新発田藩の御領内高付帳(新発田市史資料)に「五百七拾八石七斗八升 新田村」とあり、早くから大村であったことがうかがわれる。白根、吉田よしだ(現西蒲原郡吉田町)方面から三条に出る宿駅として小市街を形成し、集落は町方と村方に分れた。町方はふる町・なか町・しも町・よこ町を形成し、六斎市が立った。宝暦六年(一七五六)の「越後名寄」によれば市日は一・五の日であったが「市名ノミニテ人不出」とある。


新飯田村
にいだむら

[現在地名]神林村新飯田

西をひやつ川が流れ、対岸八日市ようかいち(現村上市)、東は小口川こくちがわ村、南は九日市ここのかいち村に接する。天正―慶長(一五七三―一六一五)頃の色部氏年中行事(色部文書)にみえる「新田」を当村のこととする説もあり、毎年一二月一三日の畳替えの時「新田の御百姓弐人より拾畳のうち、是も三まい裏にてあけ申候」とある。文禄三年(一五九四)の色部氏差出(斎藤実寿氏蔵)には「新田村」とあり高三八石四升、そのほか永不作分三石一斗、惣田数五〇〇苅と記される。文禄頃の瀬波郡絵図には「□飯田村 下」とみえる。近世は村上藩領。


新飯田村
にいだむら

[現在地名]水原町新飯田

東は野地城やちじよう村。正保国絵図に二〇石余とあり、新発田藩領。寛文七年(一六六七)と推定される御領内見分之書付(貴船家文書)では岡方組の分田組に属し、家数二・人数一四とある。天明二年(一七八二)の岡方組万雑組立帳(倉島肩吾氏蔵)によれば役石は六石八斗余で、八六八文の組万雑(組の経費)を負担している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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