日本歴史地名大系 「方村」の解説 方村かたむら 和歌山県:海草郡下津町方村[現在地名]下津町方下津湾の北岸、加茂(かも)川の河口に位置し、集落は加茂川を挟んで南北に分れ、北岸に加茂川と支流女良(めら)川に挟まれた北原(きたばら)、南岸に支流宮(みや)川の谷の南原がある。村名は、加茂川河口の干潟であることから潟に方の字を当てたものである。干潟は水田としてだけでなく、塩浜としても利用されていた。建治二年(一二七六)三月日付の預所某新田寄進状写(粟島神社文書)に「浜中南庄 潟粟島大明神奉寄進新田事」とあり、潟(かた)の地名がみえるが、この文書には疑問もあり、確実な地名の初見は、永仁六年(一二九八)一一月一九日の浜中南庄惣田数注進状写(又続宝簡集)の「一反 方堂免」であろうか。 方村ひえがたむら 熊本県:菊池市方村[現在地名]菊池市稗方隈府(わいふ)町北方の丘陵地帯に位置する村。隈府町高札辻より約二〇町の地で、北は白木(しらき)村、東は西迫間(にしはざま)村、南は玉祥寺(ぎよくしようじ)村、西は米原(よなばる)村(現鹿本郡菊鹿町)に接する。米原を中心とする古代山城鞠智(くくち)城の東はずれにあたる。暦応元年(一三三八)一〇月「方原」において少弐頼尚と菊池勢との合戦が行われた(同年一二月日「朝町禅恵軍忠状」宗像神社文書)。慶長九年(一六〇四)九月の検地帳に田二二町九反四畝余・畠二一町余、分米三三二石五斗余とある。深川手永に属し、文化一一年(一八一四)頃の深川手永手鑑に小村の城古閑がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by