日下義雄(読み)クサカ ヨシオ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「日下義雄」の解説

日下 義雄
クサカ ヨシオ


肩書
衆院議員(政友会),福島県知事,第一国立銀行取締役

旧名・旧姓
旧姓=石田

別名
幼名=五助

生年月日
嘉永4年12月25日(1852年)

出生地
陸奥会津若松(福島県)

学歴
大阪英語学校卒 ユニバーシティ・カレッジ(ロンドン)

経歴
会津藩士。戊辰戦争の際、榎本武揚の軍と共に北海道箱館五稜郭に拠って官軍と戦う。明治3年大阪英語学校に入学、4〜7年米国に留学。帰国後、井上馨に推挙され、紙幣寮七等出仕となり、9年井上馨の経済財政研究のための渡欧に随行し、自らロンドンに留まって統計学を研究する。13年帰国後、内務権大書記官、農商務権大書記官などを歴任後、19年長崎県令、26年福島県知事となり、岩越鉄道敷設に尽力した。29年第一国立銀行に入り、監査役に就任、41年まで務める。また東京貯蓄銀行、京釜鉄道、東邦火災保険などの重役を務めた。政友会に属し、衆院議員に当選2回。

没年月日
大正12年3月18日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「日下義雄」の解説

日下 義雄
クサカ ヨシオ

明治・大正期の官僚,実業家 福島県知事;第一国立銀行取締役;衆院議員(政友会)。



生年
嘉永4年12月25日(1852年)

没年
大正12(1923)年3月18日

出生地
陸奥国会津若松(福島県)

旧姓(旧名)
石田

別名
幼名=五助

学歴〔年〕
大阪英語学校卒,ユニバーシティ・カレッジ(ロンドン)

経歴
旧会津藩士。戊辰戦争の際、榎本武揚の軍と共に北海道箱館五稜郭に拠って官軍と戦う。明治3年大阪英語学校に入学、4〜7年米国に留学。帰国後、井上馨に推挙され、紙幣寮七等出仕となり、9年井上馨の経済財政研究のための渡欧に随行し、自らロンドンに留まって統計学を研究する。13年帰国後、内務権大書記官、農商務権大書記官などを歴任後、19年長崎県令、26年福島県知事となり、岩越鉄道敷設に尽力した。29年第一国立銀行に入り、監査役に就任、41年まで務める。また東京貯蓄銀行、京釜鉄道、東邦火災保険などの重役を務めた。政友会に属し、衆院議員に当選2回。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「日下義雄」の解説

日下義雄

没年:大正12.3.18(1923)
生年:嘉永4.12(1851)
明治期の官僚,実業家。会津藩(福島県)藩士石田常雄の長男,日下家の養子。藩校日新館に学ぶ。慶応4(1868)年1月,鳥羽伏見の戦に参加,北海道五稜郭に籠るが降伏して江戸に送られた。明治3(1870)年大阪英語学校に学び,4年から7年の間米国に留学。帰国後紙幣寮7等出仕,井上馨に認められ,9年欧州差遣の井上馨に随従した。その後太政官,内務省,農商務省の各種大書記官を経歴して,19年長崎県令,同県知事,福島県知事を歴任。29年退官して京釜鉄道株式会社取締,東邦火災保険株式会社社長。立憲政友会に属して衆院議員に2回当選した。<参考文献>中村孝也『日下義雄伝』

(福地惇)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日下義雄」の解説

日下義雄 くさか-よしお

1852*-1923 明治-大正時代の官僚,政治家。
嘉永(かえい)4年12月25日生まれ。陸奥(むつ)会津(あいづ)藩(福島県)藩士の子。石田和助の兄。箱館(はこだて)五稜郭(ごりょうかく)の戦いに敗れる。旧名石田五助から日下義雄と改名,アメリカに留学。帰国後の明治7年紙幣寮にはいり,井上馨(かおる)にみとめられる。長崎県・福島県知事をへて第一銀行取締役。35年衆議院議員(当選2回,政友会)。大正12年3月18日死去。73歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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