日下部四郎太(読み)くさかべ しろうた

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

日下部四郎太 くさかべ-しろうた

1875-1924 明治-大正時代の地球物理学者。
明治8年5月5日生まれ。東京帝大で長岡半太郎に師事。明治44年東北帝大理科大学教授。大正3年「岩石の力学的研究」で学士院賞。地震学に寄与した。大正13年7月3日死去。50歳。山形県出身。著作に「地震学汎論(はんろん)」「二人行脚」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

日下部四郎太

没年:大正13.7.3(1924)
生年:明治8.5.5(1875)
明治大正期の地球物理学者。山形県東村山郡金井村(山形市)に日下部定治の3男として生まれる。明治33(1900)年東京帝大理科大学物理学科卒。41年渡欧し,44年帰国と同時に東北帝大理科大学物理学科教授に就任。長岡半太郎の弟子で,長岡の始めた岩石の弾性定数の測定研究を引き継ぎ,35年から39年にかけて,岩石の弾性定数と地震波の伝播速度に関する多くの論文を発表した。その中のいくつかの考察は時代を超えるものとして高く評価されている。大正3(1914)年「岩石の力学的研究」で第4回帝国学士院賞を受賞。このような専門的研究とは別に独特の性哲学による軽妙な筆致の通俗書の著者としても知られている。東北帝大理学部長在任中,丹毒にかかり急死。<著作>『物理学汎論』(全2巻,1918,1923),『信仰物理異国行脚』(1924)<参考文献>津金仙太郎『日下部四郎太』

(谷本勉)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

日下部四郎太
くさかべしろうた
(1875―1924)

明治・大正時代の物理学者。山形県生まれ。1900年(明治33)東京帝国大学物理学科を卒業して大学院に進み、長岡半太郎の指導のもとに岩石の弾性を研究。1911年東北帝国大学に理科大学が設けられて教授となる。1914年(大正3)「岩石の力学的研究」で帝国学士院賞を受賞。地震にも関心をもち、1915年には地震予知の方法を論じ、主著『地震学汎論(はんろん)』(1927)で長年の岩石物性研究を集大成するとともに余震の発生を考究。ほかに『二人行脚(あんぎゃ)』『信仰物理』などの著作がある。[藤井陽一郎]

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