日振浦(読み)ひぶりうら

日本歴史地名大系 「日振浦」の解説

日振浦
ひぶりうら

[現在地名]宇和島日振島ひぶりしま

日振島は豊後水道の真ん中、宇和島港の西方三〇キロにある宇和海最大の島である。島の名は同島で烽火をたいたのによると思われ、神武東征の時、この島から火を振って航路を示したので日振というとの伝承もある。日振浦は御五神おいつかみ島・よこ島・おきの島はじめ付近の属島を含む。

承平・天慶の乱の時、藤原純友がこの島を本拠にしたという。「日本紀略」に「承平六年六月某日、南海賊徒首藤原純友結党、屯聚伊予国日振嶋、設千余艘、抄劫官物私財」とみえるのが日振島の初見。「扶桑略記」「純友追討記」などには日振島の地名はない。「宇和旧記」は「千余艘の舟は、日振島にはかけがたからんといへば、純友其徒党を集西海をかたぶけんとするからは、日振島計と心得てはあしからん、上は佐田二間津、下は内海外海をかぎり、宇和郡内の浦々にみちみちたるべし、純友日振島に居住するゆへ、只一浦計のやうに聞えたるよしいへり」と記している。

「清良記当時聞書追攷」に「日振島、宇和島ヨリ十里西南ノ沖離レ島、人家浦々多猟所也。豊後と予州ノ中間ニ、豊後勢度々此島ヘ渡リ、宇和領ヘ押寄タリト云々」とあるように、戦国期には軍事的要衝の地であり、江戸期には漁業の盛んな島であった。伊能忠敬の「日本実測録」には、日振島は周囲五里三三町一一間とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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