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日暮小太夫 ひぐらし こだゆう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

日暮小太夫 ひぐらし-こだゆう

?-? 江戸時代前期の説経浄瑠璃太夫(じょうるりたゆう),興行師。
寛文-延宝(1661-81)のころ京都四条河原や名古屋で興行した。現存の正本(しょうほん)に寛文2年(1662)刊の「ゆり若大臣」がある。何代かの人がこの名を襲名。もとは歌念仏を得意としたらしい。代数不詳。

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世界大百科事典 第2版の解説

ひぐらしこだゆう【日暮小太夫】

万治から寛文(1658‐73)ころの説経太夫。日暮派は本来鉦鼓(しようこ)をたたき,歌念仏を得意としたが,寛文前後に京の四条河原や名古屋の尾頭町で興行した際には本格的な説経を語っている。1661年刊《愛護若(あいごのわか)》,62年刊《百合若大臣》,69年刊《王昭君》などの正本がある。《歌舞妓事始》(1762)に〈今は日暮太夫なし〉と記され,その末流は〈説経讃語〉と称してほそぼそと継続した。【岩崎 武夫

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世界大百科事典内の日暮小太夫の言及

【王昭君】より

…1669年(寛文9)刊。日暮(ひぐらし)小太夫の正本で六段構成。漢の光武帝の後宮で,美人の誉れ高い王昭君が戎(えびす)にもらわれる。…

【説経節】より

…この七太夫が江戸の佐渡七太夫の前身であろうとする説がある。京都では日暮林清(ひぐらしりんせい)らの鉦鼓を伴奏とする歌念仏が行われていたが,この一派の日暮八太夫,日暮小太夫が寛永以前から四条河原で説経操りを興行したと伝え,正本(しようほん)の刊行などから推して寛文ころが最盛期であったらしく,小太夫は1664年(寛文4)に説経操りを法皇の叡覧に入れている(《葉室頼業記》)。小太夫の名跡は宝暦(1751‐64)ころまで続いたようである。…

※「日暮小太夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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